繰り返し

01 23, 2011
雲に同じ形はないし、人にも同じ顔はない。同じ現象が再び繰り返されることはない、という事実が自然のひとつの特徴だろう。
今回、土煙の撮影を続けることで生まれた指針がある。ひとつはもっと美しい形ができないかという思い、つまり形態の洗練という目的。ふたつめは、過去を断絶するような形が作れないかという思い、いわば形態の新規性を目指すということ。主に僕はこのふたつを基本に撮影を繰り返した。
同じ様なしかしそれぞれが異なる形を量産し、一定量の行為を経ると、こんな規模でも突然変異が起こる。それは当初の予想とは異なる形であるものの、美しいとか新しいとは何かを再考させる 不思議なフォルムをしており、その分析を拒むかのような形態は、そのまま人知を超えた力を孕むように思えた。またさらに、作業上その一枚が生まれることで、制作方法の改良を強いられた。それは、それまでの形の要素を備えつつ別の可能性を示唆するフォルムから、新たな形を生み出すヒントを受け取り、次へ繋げるということでもあった。ここに自然の「同じ形がない」という価値があるのではないかと思えてならない。最終的な究極の形態という「完結」ではなく、繰り返しという「連結」によって生まれる進行の実感は、行為における可能性の拡大を体感させてくれた。

娘は幸か不幸か僕にそっくりなのだが、娘がどれくらい父親に似ているかは、僕に限り記憶と照合するしかない。しかし僕以外の人は両者を比較できるので、リアルにその類似性を見ることができる。僕は娘の10倍の歳なので、違うことだらけなのに「ああ似ている」というしかない部分があるようだ。特に妻はそれをネタによく笑う。
その類似感の意味は、血縁という繋がりが持つ性質なのだろう。この関係を過去へ遡るだけ遡り、その写真を並列に提示するだけで、結構な作品になるかもしれない。似ているということは、もちろん顔だけの問題ではなく、思考や行動全てに関わるのだろうけれど、これも繰り返しという連結が根本にある。生み出されるものは大切だが、その行為自体が持つ秘密を知りたいと思う。今回の作品でもその思いは強い。

本日作品が集荷される。梱包作業が終わると忘れ物がないか不安になる。そして実際に何か忘れているのだ。それは経験的に言って間違いない。今回は何を忘れているのだろう。
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