嫌悪感

01 14, 2010
僕はロンブーの淳が嫌いで、どちらかといえば民放よりNHKが好きで、どうやらPTAみたいな価値観があるようなのだ。これはたぶんよいことではない。
制作において、臭いものに蓋をしてはいけないし、キレイにまとめてしまうことは悪いことで、壊すべきところでは踏み止まらずに突き進むべきなのだが、なかなかそれができない。当たり障りなく丸く収めるような態度はよろしくない。(ロンブーの淳や民放が、それを実現しているとかではない)気がつくと、どうしたらまとまるか、筋が通るか、美しくなるか等々、考えていたりする。ここに気を取られると作品本来の意味が薄れてしまう。

「わたしたちに許された特別な時間の終わり」 岡田利規(新潮社)の登場人物は、たぶんロンブーの淳に抵抗を感じないだろうしNHKより民放を見るタイプだ。彼らは僕を仲間にはしないだろう。僕も彼らのような生き方に興味はない。主人公が限定されず、その全員に感じる魅力もなく、ゆるい諦めを孕んだまま若さを垂れ流している話に、僕はしばらく嫌気が隠せなかった。しかし、そうせざるような生き方しかできない人もいるだろうことは理解しているつもりだし、延々と続く彼らが彼ら自身に語る言葉は、ひたすら軽いが嘘はないように思えた。
そして、一人称としての語り手を登場人物に合わせて次々にシフトさせていく手法は、ページをめくらせ続ける力があったし、彼らへの仕打ちのような、美とかけ離れた描写で締めくくられる結末部分は実に鮮やかで、こういうことができないといけないんだよなあ、と素直に思うしかない。
物語に作家が埋没してしまい、ストーリーや主人公を追うだけの小説は多いのだが、岡田利規はストーリーや主人公の設定をほぼ消すことで、逆に作品としての意味を薄めずに、彼の意図を浮き上がらせているように思えた。
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