営業

12 22, 2010
展示まで約1ヶ月となった。場所は京都。
僕が大学を出てこういう活動を始めた頃は、コンペや貸しギャラリーでの発表が主流だった。(ように見えた)しかし今、そういうコンペは減り貸しギャラリーも徐々にクローズし、状況は変わった。ただ、わかっている人は当時からコマーシャルギャラリーに所属し、的確な発表を続けていたはずで、僕は10年以上見るべき方向がわかっていなかった。個人的な思い込みと、そういう活動をしている人との接触がなかったことが原因だろう。そして気がつくと、若いと思っていた年齢がそうではなくなり、遅ればせながら、コマーシャルギャラリーへの営業活動をせねばなるまいと思うに至った。
当然のように無視された。丁重な手紙とポートフォリオを送るのだが、もちろん見てくれないまま時間は過ぎる。確認すべく電話をすると、オーナーでもない社員の方が「資料は見ていないけれど、多分こちらから連絡することはないと思う」というお言葉を頂いたりする。名前を間違えられてファイルが送り返されることもあった。ただ、こういうことは誰でも少なからず体験するものだろうし、どこかにいる拾う神を信じて、ポートフォリオの修正を繰り返し送り続けた。そしてある朝、今回展示をするギャラリーからメールが届いていた。ありがたかった。こういう時思うのが、やめずに続けてよかったという感覚だ。
別に発表にこだわる必要はないと思うが、展示という行為で自分から作品を引き剥がすことが、僕の場合は必要だということを、この数年で実感しており、なんとか発表の機会を探していた。活躍している人のブログを見ると、その展示機会の多さに驚く。そしてそれは大抵、個人でどうこうできるものではなく、明らかに所属ギャラリーの力だろうと推測できた。そしてそれが世界的なスタンダードで、そうやってひたすら走り続けることが、作家としての動きに柔軟性を生みキャリアとなり、人間関係を繋げる発端になるわけで、僕のようにその道の関係者と全く繋がっていない者が、閉じこもって制作する不健康さは明らかだった。もちろんヘンリー・ダーガーのような例もあるが、僕の場合は、好きにひきこもって制作しているわけでも、あえて人に見せないわけでもない。

展示しようとしている作品は、ここ2~3年で制作してきた一部と、それをベースに新しく撮り直したものになる。これが人にどう捉えられるかは未知数だが、少しでも楽しんでもらえればと思う。そして、はやく実際の空間に作品をインストールしてみたい。個展をやれる最大の面白さは、自身の作品が空間をどう変化させたのかを実体験できることにある。そして同時に、空間によって作品が僕から引き剥がされ、新たな存在として屹立する。そこで初めて「ああこうなるのか」という感覚が味わえるのだが、これが今から楽しみで仕方がない。
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任田進一

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