現実性が薄い一瞬のユートピア

06 07, 2016
裸になるのは普通かなりの勇気が必要だ。それが人前であれば尚更だし、ましてや自身のヌード写真が作品として世の中に出回るとしたら、モデルとなる人は相当オープンな思考の持ち主と言えるだろう。しかし、そういう人が世界には大勢いるようだ。ライアン・マッギンレーの作品を見てそう思わずにはいられなかった。
ライアン・マッギンレー「BODY LOUD !」東京オペラシティ アートギャラリー
男女関係なく若者が脱ぎに脱ぎまくっているが、そこには全くエロスがない。とても健康的な空気が漂う底抜けに明るそうな写真が並ぶ。若くして大成功した作者の才能は、つまり同世代の人間に対する服を脱がす技なのではないかと思ってしまう。それとも若者は今、裸になりたがっているのだろうか。その作品群を見ると、みんな実に喜んでいる。裸であることの恥じらいや戸惑いが一切感じられない。一体どんな現場なのだろう、全員裸だったりするのだろうか。それとも裸になるという行為は、本来喜びを伴うものなのか。それを意識するのをこちら側が忘れてしまったのかもしれない。
ロードムービーのように車で移動しながら場所を探し、撮影しながら仲間同士テンションを上げていくのだろう。その半端ない開放感は若さの快感に貫かれ、ある意味エクスタシーに満ちている。一方世の中は暗いニュースで満ちている、そうでなくとも生きることはそれだけで、ある程度の辛さを伴うのに、写真の中の彼らを見ていると、そういう重さからは完全に解き放たれているように見える。
たぶん、それは写真だから可能なのだろう。その一瞬の自由を閉じ込めるには写真にするしかなかったのではないか。映像ではその前後がリアルに記録されてしまう。この写真の世界はそういう現実性が薄い一瞬のユートピアだからこそ、価値があるように思えた。現実は重く暗いからこそ、ライアン・マッギンレーが受けるのだろう。ただ意外に現場は、リアルな世界であるゆえ、どろどろしているかもしれない。
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※会場は撮影が可能
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