現代美術のルールをプログラミングされた人工知能

01 12, 2016
村上隆の展示を観た。作品が商品のようであった。もちろん作品は商品として売買の対象にならねば存在価値がない、と考える方々にとってはなんの問題もなかろう。何故ゆえそのように見えてしまうのだろうか。そのあまりに迷いのない、古典を元ネタにしたテーマ設定や徹底的な手数と高度な完成度が、温かさのような人間味を消すのだろうか。正直、現代美術のルールをプログラミングされた人工知能が、手数勝負の潮流を踏まえて制作したサンプルを見ている感じだった。作品のテンションがどれも同じなのだ。完璧に管理された制作行程を経て完成に至る工業製品、という見え方を村上隆は求めているのだろうか。そういえばオタクは生身の人間関係を拒み、イメージ世界との戯れを選んだ方々だ。それをどうこう言うつもりはないが、彼らは人間的な生々しさを嫌悪し、プラスチックもしくは金属メッキのようなドライな表情を好むのかもしれない。(スーパーフラットとはそういうことだったか?)細部の細部にまで行き届いた配慮と大胆な動きが混在する画面には、暑苦しい程の原色が目眩を起こすほど飛び交っているのに、その空気はどこまでも冷たいのだった。相当な自己主張と同時に「俺に触るな」という拒絶も感じた。ただ、展示の最後にあった年表の執拗な記述には温度があった。こうしてこうやって頑張って「俺はここまで来たんだ」という人間の切実さがそこにはあった。僕が一番長い時間見ていたのは、その年表だったかもしれない。
「村上隆の五百羅漢図展」森美術館、3月6日まで。
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