ひとつのこと

08 20, 2015
舟越保武は作品を制作するにあたり「前作よりも今回はより良くなっているか」というある種の職人的判断を重視したらしく、自分のことを「私は芸術家でなくてよかった」という言葉で表している。舟越保武を知らずに「芸術家」を名乗っている人は極端に少ないと思うので、この「私は芸術家より職人」という思いには恐れ入るが、確かにその生涯に残した作品群は、あまりに一本道ではある。つまり、今の芸術家は他方向にその能力を発揮せねばなず、著名なアーティストを含めその多くは、アウトプットを限定しない姿勢を通して、自身の鮮度やマルチな才能をアピールする。その辺りを、第一人者でもあった舟越が気にしていたとは到底思えないが、一筋に人物を作り続けてきたその思いは、確かに芸術家的というより職人的だったのかもしれない。もちろん、どちらがどうという優劣はつけられないが、ひとつのことを徹底的に極めるという姿勢はかなり共感できる。続ければ続ける程にその深淵に入り込む感覚は、作り手だけが味わえる尊い世界で、それは見るだけの者には絶対に知り得ない。その制作過程上で生じる自分の手の動きの進化とか、見方の変化の機微といった、作り手がわざわざ言語化しない制作行為の変化は、ひとつのことを継続し続けることでしか実感できないように思える。そして、その「ひとつのこと」を執拗に繰り返し、技術その他の感覚を進化させていく人が「職人」だったりするのだろう。名作「聖セシリア」を見ると、その気品にしびれるばかりだが、脳梗塞後の左手だけで制作された「ゴルゴダ」になると、今まで作られてきた端正な顔立ちに秘められた、その内側を垣間見るようで、そこには最近取り沙汰される盗用問題からかけ離れた、作り手の真摯で切実な姿勢が見て取れる。大量に出回るような目立つ仕事も多々ある中、こういうつつましく静かに凄みを持った、丁寧な仕事も存在しているのだ。

舟越保武彫刻展「まなざしの向こうに」練馬区立美術館 9月6日まで。
そして兵庫県立美術館では、息子舟越桂の展示「私の中のスフィンクス」が開催中で、今月30日まで。観に行きたいが厳しい。同じ空間で、この親子の展示企画があれば素晴しいのだが。
funakoshi0820.jpg
画像左:http://hi-to-ha.cocolog-nifty.com/hitoha/2013/05/post-68d6.html
画像右:http://ameblo.jp/withwitch2/entry-12004622815.html
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