ひたすらな真面目さ

06 17, 2015
中学生の時、美術の教科書の裏表紙に載っていた「大家族」を見て、こういう絵があるのかと思った。日常的シーンを少しずらすだけで生じる違和感に引きつけられた。それぞれのパーツはいたって普通なのに、どうしてそこまで異空間になるのか疑問だった。それから時々本物を観る機会があったが、正直に言うと初めて見た教科書での「大家族」を越える印象はなかった。サイズ感もいわば普通だし筆跡もなく均一な画面で、本物が持つ迫力のようなものが他の作家とは違うように思えた。そのうち、描かれているもの自体が異常なダリとかに興味がシフトしてしまい、やはりパーツも異常であるべきとか思うようになるのだが、今回まとめて大量の作品を観ると、マグリットの良さがじわりと染みてくる快感があった。明らかに初期の作品は筆跡が残っていたり、そもそも絵があまり上手くなかったりするのだが、時を経るごとに筆跡がなくなり内容が整理され技術も向上し、数点見ただけではわからない円熟さが見て取れた。思うに1950年の「光の帝国2」以降静謐さが増し、1959年の「ガラスの鍵」になるとサイズも巨大で、そこに描かれる山肌の繊細な筆致は職人芸そのままであり、そこに迷いや混乱や狂気等は一切無く、ひたすらな真面目さに満ちていた。そして1963年、マグリットが65歳の時「大家族」が描かれる。下部に横たわる海が暗く重く波打っていて、その羽ばたく青空を際立たせていた。それぞれのパーツが最高で忠実な「普通」でもって表現されることで、マグリット的調和を生み出していた。調べてみると人格も生活も実直な方だったようだ。
(以下ウィキペディアより)

マグリットの生涯は、波乱や奇行とは無縁の平凡なものであった。ブリュッセルでは客間、寝室、食堂、台所からなる、日本式に言えば3LDKのつつましいアパートに暮らし、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝するという、どこまでも典型的な小市民であった。残されているマグリットの写真は、常にスーツにネクタイ姿で、実際にこの服装で絵を描いていたといい、「平凡な小市民」を意識して演じていたふしもある。彼は専用のアトリエは持たず、台所の片隅にイーゼルを立てて制作していたが、制作は手際がよく、服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることは決してなかったという。

「マグリット展」国立新美術館、今月29日まで。先週の日曜に娘と行った。並ばず入れたが、美術館を出たら行列が出来ていた。小学生以下は無料で楽しめる。会場出口での関連グッズがやたら充実しており、思わず帽子付きの鉛筆を買ってしまった。
black hat
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