消えない何か
06 04, 2015
娘の運動会で無防備に日焼けしてしまい、3日目にしてぼろぼろ皮が剥がれてきた。顔がまだら状態になっており随分みすぼらしい。太陽光線をあまくみたツケなのだろ う。しかし、こういう痕跡が運動会の生々しさの一端でもある。こういう体に残った残像は、都合のいい記憶とは異なる、正直なその時の状況 を今の自分に伝えてくれるが、その皮が全部剥がれて日焼け前の顔に戻ってしまうと、僕の中の運動会の何かが消えるのだろう。
似た様なもので筋肉痛がある。随分昔になるが調子にのって野球をしたところ、普段の運動不足がたたり、翌日歩けないような全身筋肉痛になった。それは一緒にやったメンバーも同じ状態であり、確認し合ったことは「試合前日に練習してはいけない、翌日体が動かなくなる」だった。しかしそんな筋肉痛であっても、しばらくすれば消える。
こういう徐々に体が以前の状態に戻っていく感覚が、自分の意識とは関係なく体が機能していることの現れなのだろう。そしてそれは時間の治癒力でもある。その時最重要とか思っていても一週間過ぎれば、見事に過去になる。一ヶ月過ぎれば完全な過去であって、その影響も消えかかる。
しかし、時々そういう時間の洗礼を経ても消えない記憶なり痕跡がある。いつまでたっても消えないそういう強い思いがどれだけ自分にあるだろうか、昔に比べて随分減った気がする。それは無難に物事をやり過ごす技術に長けたことで、しぶとい思いが弱まったということだろうか。それ以前に、そういう消えない何かがある方がいいのか、それともない方がいいのか、どちらが自由なのか。
似た様なもので筋肉痛がある。随分昔になるが調子にのって野球をしたところ、普段の運動不足がたたり、翌日歩けないような全身筋肉痛になった。それは一緒にやったメンバーも同じ状態であり、確認し合ったことは「試合前日に練習してはいけない、翌日体が動かなくなる」だった。しかしそんな筋肉痛であっても、しばらくすれば消える。
こういう徐々に体が以前の状態に戻っていく感覚が、自分の意識とは関係なく体が機能していることの現れなのだろう。そしてそれは時間の治癒力でもある。その時最重要とか思っていても一週間過ぎれば、見事に過去になる。一ヶ月過ぎれば完全な過去であって、その影響も消えかかる。
しかし、時々そういう時間の洗礼を経ても消えない記憶なり痕跡がある。いつまでたっても消えないそういう強い思いがどれだけ自分にあるだろうか、昔に比べて随分減った気がする。それは無難に物事をやり過ごす技術に長けたことで、しぶとい思いが弱まったということだろうか。それ以前に、そういう消えない何かがある方がいいのか、それともない方がいいのか、どちらが自由なのか。