今年で22回目
05 19, 2015
随分前から年に一度、国立にある「ひょうたん島」というカフェへ行く。昔は独りだったが、今は娘と行くようになった。そこでは5月中に知人(修子さん)のささやかな展覧会が開かれるのが恒例行事で、今年でなんと22回目になる。僕はその全てを観てはいないが、その半分以上は観てきたと思う。
作品として描かれているものは、修子さんがずっと飼っている猫なのだが、数年前にもう他界したと聞いた。しかし、相変わらず描かれているのは猫である。しかし今回は、少女や熊なども登場しており、タッチもどこかやわらかで、色も淡くなった。何かあったのかもしれない。
僕はどの展示を観に行く際にも、あまり作家に対し行きます宣言をして出かけないので、基本作家不在の場合が多い。今回も修子さんはいなかった。(去年たまたまお会いでき、それが5年ぶりくらいでお互いの変貌具合を笑えた)ただ思うのは、作品を通して今の修子さんを想像するのは楽しいし、そういう作品の見方は知り合いならではの贅沢なので、このスタンスは今後も変わらないと思う。
サイン帳にある、過去の自分のサインや別の友人達のコメントを眺めるのも楽しい。調度、娘が文字らしきものを描き始めた頃のページもあり、時節の変化を思う。今回娘は生意気にも感想を記していた。修子さんの展示がこれからも続けば、そしてそのサイン帳がまだ使われれば、その感想を読んで笑う時が、またいつかくるのかもしれない。
季節がいいのと、場所が自宅から12~3kmなので自転車で行くのだが、そのカフェまでの道すがら1年という単位を考えずにはいられない。先を行く娘の後ろ姿を眺めながら、去年もこんな感じだった、来年はどうなるのか、そのうちまた独りで行くようになるのかとか、それよりこのペースがいつまで続くのか等、年単位の視点で周囲を見るようになり、恒例行事の大切さを思う。修子さんの活動に感謝せねばならない。
作品として描かれているものは、修子さんがずっと飼っている猫なのだが、数年前にもう他界したと聞いた。しかし、相変わらず描かれているのは猫である。しかし今回は、少女や熊なども登場しており、タッチもどこかやわらかで、色も淡くなった。何かあったのかもしれない。
僕はどの展示を観に行く際にも、あまり作家に対し行きます宣言をして出かけないので、基本作家不在の場合が多い。今回も修子さんはいなかった。(去年たまたまお会いでき、それが5年ぶりくらいでお互いの変貌具合を笑えた)ただ思うのは、作品を通して今の修子さんを想像するのは楽しいし、そういう作品の見方は知り合いならではの贅沢なので、このスタンスは今後も変わらないと思う。
サイン帳にある、過去の自分のサインや別の友人達のコメントを眺めるのも楽しい。調度、娘が文字らしきものを描き始めた頃のページもあり、時節の変化を思う。今回娘は生意気にも感想を記していた。修子さんの展示がこれからも続けば、そしてそのサイン帳がまだ使われれば、その感想を読んで笑う時が、またいつかくるのかもしれない。
季節がいいのと、場所が自宅から12~3kmなので自転車で行くのだが、そのカフェまでの道すがら1年という単位を考えずにはいられない。先を行く娘の後ろ姿を眺めながら、去年もこんな感じだった、来年はどうなるのか、そのうちまた独りで行くようになるのかとか、それよりこのペースがいつまで続くのか等、年単位の視点で周囲を見るようになり、恒例行事の大切さを思う。修子さんの活動に感謝せねばならない。
