純化

09 11, 2010
失敗して再びやり直す、という反復行為には、技術習得など様々な意味が含まれるが、その中には純度の追求もあると思う。ひたすら研磨を繰り返すことで、対象が鏡のように周りを映し出し、そのうち輝き出すように、同じ行為の集積が跳躍への土台になる可能性は高い。というより、そこからしか物事は始まらないのではなかろうか。

純粋とは、無垢であるからこそ混合物がないという意味合いだろう。例えば、濁りを取り除く浄化を繰り返し、純度を上げ、行き着く到達点を「純粋」に匹敵させることは可能だろうか。ただそういった不純物を取り去ることで作られた「無垢」を目指し作品を純化させていくことは、基本的にも最終的にも重要だと思う。

「私達は紙を汚しているだけかもしれない」という恩師の言葉があるのだが、これは紙に何かをかっこ良く描いたつもりでも、元の真っ白な美しさには到底及ばない、という謙虚な思いだろう。ただ、より白く見せるための黒があるかもしれないし、困難ではあるが、元の紙より美しい白を作り出す可能性は、ゼロではないはずだ。

生活する上で、そのままの白を保つことはできない。確実に日々汚れる。完全な白とは、生まれた瞬間にしか存在しない。後は終わりまでホコリが積もるごとく、汚れていくしかない。しかしそこで踏み止まり、白さを保つべく、できれば進化させるべく行動できれば、無垢な白さとは別の磨かれた白が生まれるかもしれない。

何をしていても汚れるなら、何もしなければいいのだが、何もしないと汚れは沈殿するだけだ。毎日何かに集中するという、地を這う地味な行為だけが、その汚れを拭い去る力強さを持つように思う。
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