その真新しい顔
12 11, 2014
年に2回ぐらい会う友人に子が生まれた。その生まれた子の顔写真を見た時に「ああそういえば、友人はこういう顔だった」という感想を持った。その逆説的な感じで友人の顔の特徴を理解するのは、上手な歌のモノマネを見て、そのオリジナルの凄さを実感するとか、何度も何度もデッサンし見飽きた石膏像のオリジナル大理石像をルーブルで見た時の不思議な感動とかに通じるかどうか分からないが、自分自身のあいまい記憶をより明確に正されることに加えて、何かの本質がさりげなく開示された感じが、なんだか気持ち良いのだった。本来ならば「A」を知るのであれば「A」だけ見れば充分なのだろうけれども、そこで「A'」なり「a」なりを知ることで、より深く「A」に潜む何かを感じたりするのだろう。そしてその何かこそが、血の繋がりとか癖みたいな、その個人ひとりと知り合っても見えてこない本質かもしれない。
それにしてもあの小さな赤ちゃんに、その友人が今まで生きてきたことで作られた顔の特徴とか、変わりようのないDNAなどが結実しているのだ。その真新しい顔は、これからどう成長していくのだろうか。良き未来でありますようにと思う。
それにしてもあの小さな赤ちゃんに、その友人が今まで生きてきたことで作られた顔の特徴とか、変わりようのないDNAなどが結実しているのだ。その真新しい顔は、これからどう成長していくのだろうか。良き未来でありますようにと思う。