俯瞰

08 29, 2010
人に自分の仕事を見せる際、ポートフォリオが役立つわけだが、自分が何をすべきか迷った時にもそれは意味を持つ。そこに如実に現れた過去の「自分」を見ていると、次への示唆があるように思う。当時の理由なく信じられた制作という時間を、完成された作品を通して振り返ると、言語化されなかった意図が見え隠れしてくる。さらにその時々を繋げると、視点が広がったようでいて、逆に何かの流れに巻き込まれただけのようでもある。そこに宿命のような必然が漂っているとしたら、それが自分が突き詰めるべく啓示されている問題なのだろう。

距離をおくことで見える俯瞰的視点の重要さを思う。同じような行為を続けて同じようなモノを量産していると、その差が見えているつもりで、逆に盲目になっている気もする。個人での判断が難しい状態にあるのかもしれない。しかし僕はそういう道を選び、他者とのコミュニケーションで制作するスタンスから距離をおいた。人間関係の軋轢が苦手なのだ。何かのアイデアを実行する際に、他者へ説得が時間のロスに思えてしまうのだ。たぶんその結果、無意味を量産し、貴重な時間を消費したと思う。無駄となる行為を止めてくれる他者、自分を次のステージへ引き上げてくれる他者がいたら、という都合のいい妄想もしないわけではない。バンドのような同志と共同で作品制作する憧れは隠さないが、やはりその困難さを思うだけで腰が引けることも隠せない。

映画やオーケストラが奏でる音楽のような巨大な作品と同等に対峙する一枚の絵もある。広い舞台を独りで成立させるダンサーもいるだろう。自分にそれができるのかは未だにわからないが、表現者の基本はかくあるべし、という考えが僕にはある。もちろん、これはただの小さな意地でしかない。影響力がある人は、自然に他者を巻き込み、奇跡的な相関関係を作り、偉大な作品を生み出す。しかし、個人だからこそ見える問題点はあるはずだし、今の自分が作るべき作品に壮大なテーマは必要ない、極小の一点に収斂される何かで充分なのだと思う。
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任田進一

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