そういう「道具」に頼らずに

09 25, 2014
のび太を幸せにするミッションを終え、別れの時を知るドラえもんが「まったく君は、ドジでのろまで泣き虫でわがままで、」と延々続けながら涙を流すシーンを見ていると、愛だよなあと思う。そしてドラえもんに心配をかけまいと、ボロボロになりつつもジャイアンにしつこく立ち向かうのび太を見ても、愛だなあと思う。そして、無力な自分に関わるとしずかちゃんを不幸にすると悟ったのび太が、ある嫌われ薬を大量に飲んだことで、ドラえもんもお母さんも逃げ出し、かつのび太自身も気絶してしまう中、しずかちゃんだけは意志を維持し、のび太救出を果たすシーンは、強いとは何かを教えてくれる。ああ、こういう話があったあったと思う。初めてドラえもんを読んだ自分が、のび太達と同年代だった頃を思い出し、それはそれは懐かしい気分になる。

「STAND BY ME ドラえもん」監督 八木竜一、山崎貴 原作 藤子・F・不二雄
ある人がある人を思い、その人のために動く時人は感動する。自分のために起こす行動などたかが知れている。ただ、ドラえもんは様々な自分の弱さを克服する「道具」を出してくれる。しかし大切なことはその「道具」を使うことではなく、そういう「道具」に頼らず、どうしたらいいかを自分なりに考えることだったりする。誰でも、何か一気にこの局面を打破できないかとか、虫のいい事を願ってしまうが、そうではないのだろう。出来杉の偉大さを知り、足し算の練習から始めたのび太を見て、瞠目するドラえもんを見ていると、尊い行為とは何かを教えられる。もし自分にドラえもんがいたらどんな道具を出してもらうか、とか昔よく話題になったが、実際ドラえもんはいないのだ、願いは叶えてもらうものではない、ではどうするか?という厳しい現実を今さらのように思うのだった。
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画像:(C)2014「STAND BY ME ドラえもん」制作委員会
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