速いと強いの差

01 29, 2014
「いいかげんに目を覚ませ!みんなが、精一杯努力していることをなぜきみは認めようとしない!彼らの真摯な走りを、なぜ否定する!きみよりタイムが遅いからか。きみの価値基準はスピードだけなのか、だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!飛行機に乗れ!その方が速いぞ。」(要約)

「風が強く吹いている」三浦しをん(新潮文庫)
ひとつの見方しか知らないと、もうそこから先に進めなくなる。特にそれが価値観が固定されている一般的な視点の場合、もう負けには意味がなくなってしまう。もちろん、そういう判断で物事を見る方法もあるが、著者はそうではないと主張している。個人それぞれの存在にそれぞれ意味があるように、勝負や競技において一番でなかった選手達の価値が、いかに掛け替えのないものであるかを、たぶん著者は伝えたいのだろう。本書での、走りに速さを求めるのでなく「強さ」を求めることに、その視点がある。

あのイチローが「尊敬する選手は誰ですか」という問いに確か「自分の全力を出し切る選手です。もし力があっても、それを出し惜しみする選手は尊敬できません」と答えていた。彼にとっては、知名度も何も関係ないのだろう。真摯に向き合って全力を出すことに意味があるようだ。さすがイチロー。
戦うのは他者とではない、ということが重要なのだろう。競技をする人にとって、ほぼ確実に勝てないとされる相手の存在は絶対的につきまとうが、そういう巨大な他者を見るのではなく、いかに安定的に自分の力を最大限発揮する方法を考えるかが、強くなるということなのかもしれない。結局は勝った負けたで判断されるのかもしれないが、人の心を揺さぶる何かはそういう結果ではなく、全力を出し切るその姿勢に宿る尊さだったりする、そして問われるのは、その力を出すための創造力、機転や工夫、そして地道な努力や日々の練習なのだろう。いかにして相手に勝つかではなく、いかにして自分を高められるかが大切なわけだ。
しかし、自分で実践するのは大変そうだ。勝てば喜んでしまうし、負ければへこんでしまう、確かにそういうことで一喜一憂しない安定感を持ちたいと思うし、一流と言われる人達は、そういうぶれない自分の軸を維持できているのだろう。

例えばコンペの場合、これを勝ち負けの価値観でモノを作るとなると、完全にアイデアが狭まり、思考も固まってしまう。常にそうなのだが、相手と戦っていると思うだけで、もう違うのだ。そのテーマにおいて、いかに純粋に創造力を稼働できるかであり、もしかすると、思ってもみない方向に解答なり面白そうな扉があるかもしれない。特に負けが続くと広さがなくなる。この年になってもまだまだ青い自分を実感する。

本書は、ほとんど素人同然のランナー達が、あるきっかけを経て箱根駅伝を目指す。その中にひとり才能溢れる主人公がいる。確かに彼は速い。しかしもろい。その彼が、才能の無いチームメンバー達の走りを見て、それまでの彼らの練習なり境遇なりを理解し、それぞれに潜む意味を知る。著者は6年かけてこの小説を完成させただけあり、その丁寧な走りの記述に素直に夢中になった。実は今年、久しぶりに真面目に箱根駅伝を見た。そこで覚えた光景と、登場人物達の走る姿が重なると、確かな価値観をそこに感じ、もうそれだけで電車の中で落涙しそうになった。
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