宝探し

12 24, 2013
小学校1年生は、気持ちがダイレクトに表情にでる。楽しいのかつまらないのか、非常にわかりやすい。こういっては何だが、幼い子供の笑顔は原理的にかわいいので、そこにはあまり個別の感情がみられない。たぶん個別の意志も曖昧だろう。まだまだ、楽しいことは心から楽しいという純粋な存在だ。先日自宅でクリスマス会をして、宝探しみたいのをやったのだが、端々でみつかるヒントを追って宝に迫る、娘やその友人達を見ていると、歓喜のエネルギーが渦を巻いて家中を駆け回っているようで、そこにあるのは、純粋な喜びのみであり、何かを思考した結果生まれる意志とは別の、子供特有のパワーだった。そういう子供力は無条件に周りを明るくする。そして、楽しさのウェーブに身を任せた、裏のない笑顔を見ていると、あと何年これが続くのかと思う。宝探しを本気でやったり、サンタクロースを信じたりとかは、あと3年ぐらいかもしれない。とすれば、サンタのフリした手紙を書いたり、宝を隠したり、そのヒントを仕掛けたりするのもあと3回くらいかと思うと、確かにこれは期間限定で親に許された喜びなのだろう。

もうその片鱗は見えるのだが、7歳の娘にも幼いとはいえ自分だけの思いがある。自分の得意不得意がクラスの中で顕在化し、自分がどういう存在なのかを考え始めているのだろう。そして、自分が出来ないことや気持ちが乗らないことは何か、逆に自分が楽しいと思えることや夢中になれることが何かを、区別出来るようになる。ただ今は、そういう確固たる意志というのが、何かに真剣になるとかではなく、どうしてもやりたくないとか行きたくない、という否定の形態を持って表に出るようだ。喜びの顔なり、夢中な顔というものには、今のところ子供のかわいらしい部分しか見えないが、何かを拒絶する時の顔には、個性を持った人間の苦悩が感じられ、そこには明らかに娘の個人的な表情が露出している。楽しませてもらえることだけが楽しい、というお膳立てされた枠内ではない状態で、肯定的な意志を持った娘の個人的な表情を見たいと思うが、まだそれは早いのかもしれない。そしてそれは、子供らしい無垢のかわいらしさが失われることに繋がる。サンタがいる世界から現実の世界に移行した顔になるわけだ。それはそれで正直寂しい。しかし、そのうち親が仕掛けた宝を探すのではなく、自分で自分の宝探しを始めるだろう。そうなったら仕方ない、娘がみつける宝がどんなものか見届けるしかない。そんな先の想像をしつつ、娘の寝顔を見た。明日の朝はどんな顔になるだろうか。
xmas2013.jpg

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