現場の直感
11 22, 2013
展示空間に作品をどのように配置するかは、何度もシュミレーションし、視覚化しつつ確認し、またそれを見直しつつ頭でこね回し再び視覚化し、といったことを繰り返し、もうこれ以上はない、と思い込んで当日を迎える。しかし、事前に何度も見ていたにも関わらず、空間というのはどんどん変貌していく。もちろん物理的な何かが変わることはないが、さあ搬入開始という状態で現場入りすると、今まで見えていなかったものが次々に見えてくる。今回も、壁をある色にしてもらったのだが、それによって床色の見え方が劇的に変化し、どうしても手を入れたくなった。ただ既に壁は完成しており、今更床を剥がすわけにもいかず一度は諦めた。
しかし、時間があるのはありがたい。今回は、搬入期間が2週間用意されていたので、色々調べられた。そして、望みの色かつ計算上9枚でほぼ空間にピッタリ収まる大きなカーペットが、本数限定で半額キャンペーンをやっており、長野にあるその工場に問い合わせると、まだ在庫はあるという。インターネットは凄い。そして、先日そのカーペットを空間に敷き詰めたのだが、多少の問題はあったものの、ほぼイメージ通りになった。
これは搬入作業をやっていて思うことだが、毎回現場で何らかの問題が起きる。その問題とは、搬入前にシュミレートした完成形が、現場で実現できないとか、そのイメージを実現させたところ、あまりよろしくない、とかが多いが、あともうひと手間加えればもっとよくなるという、運営側からすると余計なイメージが浮かぶ場合もある。ただこれは、明らかに更なるコストがかかるとか、時間がないとかで実現不可能なことが多い。しかし今回は時間があった。これは全然違う結果をもたらすようだ。
現場の直感というのは、言わばただの思いつきなのだが、それはそれまでの完成形が、脳内で最新バージョンとして更新されて現れたものでもある。今まで想像上でしか検討できなかった、あやふやな問題点が具体的に考慮された結果、導き出される解答であることは間違いなく、漏斗上の水がひとつの出口に向かって収斂されていく感じに似ていなくもない。であるので、それはそれで意味があるのだ。
あと最近感じるのは、自分ひとりで搬入するつもりで計画していた展示プランが、現場で何故これをひとりでできると思ったのか、という自分の想像力と現実把握の乖離が激しいことだ。今回も、ひとりで淡々と作業していけば問題なしと思っていたが、かなり無謀な計画だった。手伝って頂いたプロの方々の手腕がなければ、どうにもならなかった。というより、僕は完全に役立たずで、ただ呆然と彼らが進める職人的技術の鮮やかさにみとれるしかなく、正直その日は少々へこんだのだった。
しかし、時間があるのはありがたい。今回は、搬入期間が2週間用意されていたので、色々調べられた。そして、望みの色かつ計算上9枚でほぼ空間にピッタリ収まる大きなカーペットが、本数限定で半額キャンペーンをやっており、長野にあるその工場に問い合わせると、まだ在庫はあるという。インターネットは凄い。そして、先日そのカーペットを空間に敷き詰めたのだが、多少の問題はあったものの、ほぼイメージ通りになった。
これは搬入作業をやっていて思うことだが、毎回現場で何らかの問題が起きる。その問題とは、搬入前にシュミレートした完成形が、現場で実現できないとか、そのイメージを実現させたところ、あまりよろしくない、とかが多いが、あともうひと手間加えればもっとよくなるという、運営側からすると余計なイメージが浮かぶ場合もある。ただこれは、明らかに更なるコストがかかるとか、時間がないとかで実現不可能なことが多い。しかし今回は時間があった。これは全然違う結果をもたらすようだ。
現場の直感というのは、言わばただの思いつきなのだが、それはそれまでの完成形が、脳内で最新バージョンとして更新されて現れたものでもある。今まで想像上でしか検討できなかった、あやふやな問題点が具体的に考慮された結果、導き出される解答であることは間違いなく、漏斗上の水がひとつの出口に向かって収斂されていく感じに似ていなくもない。であるので、それはそれで意味があるのだ。
あと最近感じるのは、自分ひとりで搬入するつもりで計画していた展示プランが、現場で何故これをひとりでできると思ったのか、という自分の想像力と現実把握の乖離が激しいことだ。今回も、ひとりで淡々と作業していけば問題なしと思っていたが、かなり無謀な計画だった。手伝って頂いたプロの方々の手腕がなければ、どうにもならなかった。というより、僕は完全に役立たずで、ただ呆然と彼らが進める職人的技術の鮮やかさにみとれるしかなく、正直その日は少々へこんだのだった。