圧倒的な子供感の改善

10 24, 2013
小学校というのは配布物が多い。そしてその中には重要な物とそうでない物が、同じような体裁で混在している。なくしてはならない申し込み用紙と、どうでもいい広告まがいの申し込み用紙の区別がよく解らず、もっと判別しやすくすればいいのにと思うが、そこを真面目に改革すべく動くのであれば、個人的に相当な時間と労力が奪われることが自明なので、どうにも耐えるしかない。たぶん、これまでも多くの人々がそうは思いつつも、立ち上がれないままに今に至るのだろう。毎日のように娘や妻と「どこかにある重要なプリント探し」をしていると、何をやっているのかなあと思う。

保育園にはお迎えがあった。そこで先生にわからないことやその日の問題行動を聞き、それなりの会話ができ、思えばこれが大きい安心感に繋がっていたが、小学校にはそういう時間がない。子供達が、連絡事項をメモり配布物をランドセルに押し込み、帰宅後報告するわけだ。親達は、子供の証言と残された拙いメモと重要そうなプリントで、小学校の様々な日常を判断するしかない。連絡帳もあるが、大抵先生からのメッセージは、最小限のフレーズしかない。そう思うと保育園からのメッセージは、懇切丁寧な日常の光景が書かれており、読むのが楽しかった。ちなみに、この前の先生からのメッセージは「忘れ物が多くなっています」だけだった。社会の子供への接し方が急に変わり、そこに付いて行けていないのだ。先日娘に、忘れ物が多い原因を聞いてみると「ランドセルから出すの忘れてた」などとふざけた発言をする。忘れ物が恥ずかしい、という概念が明らかにない。この圧倒的な子供感の改善は、羞恥心の芽生えを待つしかないのか。ただ思うに、外見的にはそれなりに成長した感じだが、実際まだまだ小さいのだ。昨日、かなり娘に怒ってしまったのだけれど、保育園卒園からまだ7ヶ月しか経っていないことも事実だ。毎日重いランドセルを背負い、休まずしっかり通学しているだけでも充分だ、と思うことにした。
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