自分は何者か
08 06, 2013
人が自分のことをどう思っているのかを知る術はないと思っていたが、今はネット上に匿名でたれ流されるツイートに、その片鱗を見ることが可能らしい。そしてそれはメールアドレスからあっさり辿れるようで、もうそこには友情も何もあったものではない。僕はツイッターをしないのでその感覚がわからないが、これに慣れると、匿名がゆえの他者攻撃リミッターが、簡単に切れてしまうようで、とても恐ろしい。
本書の登場人物達が就職活動で日々社会から否定される中、なんとか自分を特別な存在にしたいがために、お互いを見下す言葉がぶつかる裏面ツイートの暴露シーンがあるのだが、それはホラー映画のスプラッター的やばさが充満しており、見たくない感情の闇を見せつけられるようだった。
「何者」朝井リョウ(新潮社)
出世作の「桐島、部活やめるってよ」で、スクールカーストと呼ばれ始めた生徒の上下関係をテーマに、学校の冷徹な日常を暴露した著者が、今回は就職活動で迷走する若者達を描写している。僕は今の就職活動がどんなものだが詳しくないが、対会社としての登場キャラ達の自己アピール方法は、どれもそれなりに理解できる。しかしそのどれもが無理をしている。そういう自分を凄く見せようという方策は、たぶん何の役にも立たない。他者に理解してもらうためには「いかに武装するかではなく、いかに裸を晒すのか」ではなかろうか。では今の自分にそれが出来るのか、となるとそれはまた別問題だ。裸になるのはとても難しい。
そう考えるとさらに遡った10代の頃から、僕はあんまり変わっていないのかもしれない。当時の記憶を思い返すと、恥ずかしさで気絶しそうなエピソードの数々が思い浮かぶ。あの10代というのは、個人が持っている生命力がもろに露出する時期であり、努力とか関係無しに、その生命力=魅力という希有な直結が見られる年代だった。そのうち社会に接していくにあたり、生命力だけではどうにもならないので、様々な職種を選択し、その道の生き方を学び、徐々に無くなっていく生命力を様々なモノでカバーし、武器を増やすわけだが、当時はそんな技など誰も見ていない。その人個人が持っている最もプリミティブなパワーだけが、彼らの世界では評価対象となるため、その力が弱ければ、もうどうにもならない。おとなしく勉強するか、何か自分が見つけた大切なものを、ひたすら掘り下げるしかない。そしてそれはある意味屈辱的だが、大人になっても同じような状況であることを思えば、それこそが重要だったのだろう。そういう長年培って出来た自分の血と肉以外は、結局いつか剥がれてしまうものだ。
就職活動マニュアルに必死に自分を合わせる人、就職活動から離れて自分の個性や努力の過程を必死にアピールする人、それらを観察することで冷静さを保とうと必死な人。どれが良いのかではない、それで自分の自然な姿を維持できるのかどうか、ではなかろうか。他者を否定することでしか、自分を肯定できないのであれば、そこから先はない。期間限定で何かを慌てて取り繕っても痛々しい。日々どう過ごして来たのかが、いつも問われているのだと思う。そしてそれは死ぬまで続く。本書はいわゆる就活話だが、それはただの代名詞にすぎず、潜んでいるものは変わらない、自分が「何者か」考えてしまうのだった。
本書の登場人物達が就職活動で日々社会から否定される中、なんとか自分を特別な存在にしたいがために、お互いを見下す言葉がぶつかる裏面ツイートの暴露シーンがあるのだが、それはホラー映画のスプラッター的やばさが充満しており、見たくない感情の闇を見せつけられるようだった。
「何者」朝井リョウ(新潮社)
出世作の「桐島、部活やめるってよ」で、スクールカーストと呼ばれ始めた生徒の上下関係をテーマに、学校の冷徹な日常を暴露した著者が、今回は就職活動で迷走する若者達を描写している。僕は今の就職活動がどんなものだが詳しくないが、対会社としての登場キャラ達の自己アピール方法は、どれもそれなりに理解できる。しかしそのどれもが無理をしている。そういう自分を凄く見せようという方策は、たぶん何の役にも立たない。他者に理解してもらうためには「いかに武装するかではなく、いかに裸を晒すのか」ではなかろうか。では今の自分にそれが出来るのか、となるとそれはまた別問題だ。裸になるのはとても難しい。
そう考えるとさらに遡った10代の頃から、僕はあんまり変わっていないのかもしれない。当時の記憶を思い返すと、恥ずかしさで気絶しそうなエピソードの数々が思い浮かぶ。あの10代というのは、個人が持っている生命力がもろに露出する時期であり、努力とか関係無しに、その生命力=魅力という希有な直結が見られる年代だった。そのうち社会に接していくにあたり、生命力だけではどうにもならないので、様々な職種を選択し、その道の生き方を学び、徐々に無くなっていく生命力を様々なモノでカバーし、武器を増やすわけだが、当時はそんな技など誰も見ていない。その人個人が持っている最もプリミティブなパワーだけが、彼らの世界では評価対象となるため、その力が弱ければ、もうどうにもならない。おとなしく勉強するか、何か自分が見つけた大切なものを、ひたすら掘り下げるしかない。そしてそれはある意味屈辱的だが、大人になっても同じような状況であることを思えば、それこそが重要だったのだろう。そういう長年培って出来た自分の血と肉以外は、結局いつか剥がれてしまうものだ。
就職活動マニュアルに必死に自分を合わせる人、就職活動から離れて自分の個性や努力の過程を必死にアピールする人、それらを観察することで冷静さを保とうと必死な人。どれが良いのかではない、それで自分の自然な姿を維持できるのかどうか、ではなかろうか。他者を否定することでしか、自分を肯定できないのであれば、そこから先はない。期間限定で何かを慌てて取り繕っても痛々しい。日々どう過ごして来たのかが、いつも問われているのだと思う。そしてそれは死ぬまで続く。本書はいわゆる就活話だが、それはただの代名詞にすぎず、潜んでいるものは変わらない、自分が「何者か」考えてしまうのだった。