予知能力の消失

07 03, 2013
日曜日に公園で娘とウンテイをしていたら、お互い汗だくになってしまい、そのまま近くの深大寺温泉ゆかりに行った。そこは多少お金がかかるものの、食べ物も充実しているし、タオルや部屋着も貸してくれるので、調度いいと思ったのだ。しかし、そこで問題が起きた。都の条例で小学校1年生から性別ごとに分かれての入浴が義務づけられた、と告げられたのだ。
娘は未だひとりで公共のお風呂に入ったことがなく、残念だがここは諦めるかと思ったのだが、意外にも娘はひとりで大丈夫だと言う。確かに今温泉に浸かったら気持ちよいだろうし、チャレンジャーな年頃でもあるので、まあいいかと思い、そのままひとりで女湯に向かわせることにした。ロッカーの鍵の使い方等くどくど説明したが、聞いているのかいないのか、大丈夫を連発するだけだった。僕の方は、もう娘と一緒にこの温泉には入れないのかと思い、気分は感傷的だったが、逆に娘の気分は、ひとり旅的高揚感でいっぱいだったのかもしれない。

時々通っている学童から、日々の様子を紹介するプリントが渡される。そして、その中に娘の姿を発見すると、僕が仕事なり何なりしている時に、娘も娘なりに色々なことをやっているのだ、という実にあたり前の事実を知る。それは事後的な感覚だが、あの日男湯に入りながら僕が思ったのは、自分が身体を洗う時に、今娘も身体を洗っているのかとか、自分が何かするたびに、いちいち娘の現在を想像して、小さい身体でたどたどしく行動しているシーンが脳裏をよぎり続けるのだった。そして、その想像は僕の中でかなり真実味があるように思えた。

しかし事実は違った。娘は僕の妄想とは裏腹に、早々に温泉に飽きたようで、さっさと上がって部屋着に着替え、黒蜜きな粉サンデーを注文し、雑誌を物色していたのだった。待ち合わせの部屋で、その光景を見た時、もう既に僕の知らない娘の世界が始まっていることを、なんとなく実感した。自分が思う娘の行動パターンは、もう想像の世界での娘でしかなく、現実世界の娘はそこから離れた場所にいるらしい。子供の成長に自分の想像力が追いついていない事実を突きつけられるのは厳しい。まだしゃべれもしなかった頃や、保育園の頃は、嫌になる程こちらの予想通りに失敗をし、予想通りに泣き出していた、規模は小さいが未来が予測できた。しかし、そういう僕の予知能力は、どんどん失われつつあるようだ。
「まだ小さいと思っていたが」という台詞がよくあるが、こういうことか、とひとり腑に落ちる時間を、湯上がり生ビールを呑みつつ実感し、想像上における娘の行動傾向を、これから修正せねばと思った。
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画像:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/011/905/88/N000/000/005/133074577845813216221_DSCN0497.JPG
ここで娘は、黒蜜きな粉サンデーを注文していた。
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