街の記憶

05 22, 2013
僕は小学校2年から浪人時代までの約10年間を横須賀で過ごした。引っ越して来た当時は、新しい住宅地が出来始めた頃でいわゆるヨコスカ的な感じはなく、特徴の無い普通の街だと思っていた。しかしここ最近帰省するたびに「やはり不思議な場所だ」と思うようになった。
まず外国人が多い、しかし六本木とは明らかに違う。合わせて防衛大学の学生や海上自衛隊の白服を着た方々も目につく、これはやはり普通ではない。毎日目にしているうちに、異常が通常になってしまったのだろう、慣れの構造は怖い。

「街の記憶 写真と現代美術でたどるヨコスカ」横須賀美術館
展示とは関係ないが、とてもスッキリした空間が美しい美術館だった。この建物が立つ前は、芝生に覆われた広い空間でしかなく、当時の僕はよく海岸線をサイクリングしていたのだが、ここはよい休憩地点になるのでお気に入りの場所だった。
横須賀は美術とはほぼ無縁な印象だったので、初めて美術館が出来たことを知った時は驚いたけれど、相応しい所に相応しい物が出来たと思え妙に納得できた。であるから、それなりの期待もあり早く観に行きたいと思っていたが、なかなかその機会は訪れず今回ようやくその思いが叶うことになった。
正面に広がる芝生や、そこから見える海に潜水艦や軍艦が見える構図も当時のままだった。正直こんなに立派な美術館があの横須賀にできたなんて、と思わずにはいられなかった。潮風から守るためらしいが、全体がガラスで覆われ光が充満しているような空間はとても魅力的で、当時からこういう場所があったら、僕の横須賀への印象も変わっていたかもしれない。

僕の実家の裏は当時山であった。名前も「吉井」という漠然としたものでブナなどが生い茂る森で、そこでよく遊んだ。昆虫もいたし、ザリガニが取れる小川や、わけもなくドラム缶が転がるモトクロス練習用の広大な荒れ地もあり、小学生だった僕は、友人とそこを自転車で走り回った。しょぼい秘密基地も作った。小さな神社もあり、千葉から飛んで来たという巨石を祭ってあるのだが、今はその神社だけが残り、後はすべて新興住宅地として、山は削られ窪地は埋め立てられ、小綺麗な家が並び、コンビニやスーパー、公園が生まれ、なんと今風のオシャレな小学校まで作られた。僕が過ごした面影はほぼ消え去り、名前も「湘南山手」に変わった。その開発が、僕が家を出てから始まったので、帰省するたびに目まぐるしく風景が変化していくのだった。今思うともう少し感傷的になってもよさそうだが、僕の意識はどんどん横須賀から離れていく感じで、かなりドライにその変化を受けとめていた。ただ、風景が変わるダイナミズムは印象的だった。なにせ山が消えるのだ。

家を出るきっかけになったのは、大学に進学するためで、僕はそのために美術予備校へ通ったのだが、その途中にそれなりに有名な「ドブ板通り」があった。正直に言うと、今回の展示にあった、森山大道や石内都が撮影したような、ヒリヒリする刺激に満ちた通りとはほど遠い、ただの汚い近道だった。時代が落ち着いていたのかもしれない。であるから、一般的な印象であるヨコスカと僕が見てきた横須賀にはかなり乖離があるのだろう。美術館に並ぶ作品を見ても、そこにはヨコスカが多く横須賀は少なかった。もちろん「街の記憶」なのだから当然といえば当然だが。そういう意味で、ホンマタカシの作品は、その変わりゆく風景を捉えていたと思う。そこには明らかに横須賀があり、その明るい日差しに包まれた冷たい光景は、当時感じた白々しさに繋がる。

美術館のすぐそばに観音崎ホテルがあって、入ったこともなかったが、色々あり今回初めて宿泊した。日の出前の海は実に美しく、空の青と絡んで壮大な光景を作っていた。横須賀に10年もいたのに、こういうシーンを目にするのは初めてだった。
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