必要に応じたアバウトさ

05 15, 2013
娘の提案で、母の日にルンバを買った。自動お掃除ロボットである。スイッチを入れるとフィンフィンいいながら床を掃除している。その動きは、機械とはこうやって仕事を処理していくのか、という今まで見えなかったその姿を可視化しているようだ。そんな動きに見入る時間があったら、自分で掃除すればいいものだが、新人に仕事を任せ、別の仕事をする後ろめたさに似た感情がなんとなく生まれ、どうも様子を伺ってしまう。その動きは、絶対にさぼらない掃除当番的雰囲気であり、広告されているシャープなコピーの数々や、そのキレイにしていく過程を示した動画のそれとは異なり、ひたすら真面目という印象だ。その実直に掃除する姿を見ていると、人間とは、はしょる生き物だなあと思った。

人間が掃除をする際その本気度は状況よって異なる。年に何回もない大掃除とか、友人や親が来るといった場合と、日々の定期的なそれとでは、まるでモードが違う。人間はそういう意味で必要な程度に合わせて仕事を進める。しかしルンバにそういう機能はない。実に一途に掃除をしている。それはもう徹底根絶という感じで、とても素晴らしいと思うけれど、例えばざっくりモードみたいな見た目重視の掃除をする機能があれば、もっとユーモラスな存在になるのに、とも思う。

もちろんそういう「いい加減」を求めるのは困難だし、機械ならではの徹底感に価値があるのは理解できる。階段からの落下回避察知能力はすばやく、充電場所に自分で戻る行為も、こちらの心をくすぐる。妻や娘は名前を考え、今ルンバは「ひまわり」と呼ばれている。そしてあきらかに「ひまわり」は僕より掃除が上手だ。こうやって人間は機械に仕事を奪われていくのだろう。そして、人間の抑揚が邪魔になり、機械に合わせた仕様が人間に求められるのだろう。そのシステム上、融通が効かないシーンというものが、今後増えないことを祈る。機械の徹底無比で正確な仕事は素晴らしい、しかし人間が持つ必要に応じたアバウトさにも大切な価値がある。「ひまわり」を見てそう思った。
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