言葉が発せない状況
03 24, 2013
多くの人がそうだと思うが、泣くことを隠すようになって随分時間が経った。小学校低学年以降、人前で泣く事はほぼなくなった。それは自身の弱さを、他者に露呈するようで恥ずかしいからだが、その泣く理由が微笑ましい内容であれば、人が涙を流す光景は、どことなく心を暖かくさせるものがある。
娘の卒園式に行った。保育園の卒園式というのは、それぞれの園で形式が異なるのだろう。どれがどうというわけではないが、娘が通っていた保育園の卒園式の特徴は、園児が園長から卒園証書を授与されると、それを背後で待つ親に手渡し、ひとりづつ親から卒園に対するコメントをもらう、という流れだった。BGMは先生が弾くショパン「別れの曲」で、親(その多くは母)は、卒園証書を持って自分に迫る小さな我が子の愛しさに我慢できず、ほぼ皆泣き濡れてしまうのだった。涙で言葉が発せないという状況は、さらに順番を待つ親の涙腺を刺激し、のっけから泣き合戦の様相を呈し、触発された園児達ももらい泣き、というその光景は、誰が考えたのか知らないが、卒園の演出として完璧であった。
もう何年も通っているので、親同士も送り迎えを通して、顔見知りになっており、普段着でしか知らない方々が、正装し感極まり泣いている姿は、実に清々しかった。せっかく化粧に気合いを入れたであろう母達が、結局ハンカチでずっと顔を覆う姿は、そこに繋がる様々な苦労が偲ばれ、皆、それぞれに美しいのだった。
娘の卒園式に行った。保育園の卒園式というのは、それぞれの園で形式が異なるのだろう。どれがどうというわけではないが、娘が通っていた保育園の卒園式の特徴は、園児が園長から卒園証書を授与されると、それを背後で待つ親に手渡し、ひとりづつ親から卒園に対するコメントをもらう、という流れだった。BGMは先生が弾くショパン「別れの曲」で、親(その多くは母)は、卒園証書を持って自分に迫る小さな我が子の愛しさに我慢できず、ほぼ皆泣き濡れてしまうのだった。涙で言葉が発せないという状況は、さらに順番を待つ親の涙腺を刺激し、のっけから泣き合戦の様相を呈し、触発された園児達ももらい泣き、というその光景は、誰が考えたのか知らないが、卒園の演出として完璧であった。
もう何年も通っているので、親同士も送り迎えを通して、顔見知りになっており、普段着でしか知らない方々が、正装し感極まり泣いている姿は、実に清々しかった。せっかく化粧に気合いを入れたであろう母達が、結局ハンカチでずっと顔を覆う姿は、そこに繋がる様々な苦労が偲ばれ、皆、それぞれに美しいのだった。
