小学校までの道
03 03, 2013
土曜日の夕方、春一番の風の中、4月から就学する娘と一緒に、小学校までの道を散歩する。その道は、大人でも10~15分程歩かねばならず、それなりの距離がある。予想通り6歳児は、道ばたの何かを見つめて長時間しゃがみ込んだり、途中の公園で遊んで行くべき方向を見失ったり、自動販売機の前で喉の渇きを主張したりと、少しも普通に歩けない。これでは、30分以上かけて毎日登校することになってしまう。本人にその困難な日々に対する自覚が全くなく、勝手に理想的な小学校生活を夢想しているが、まず何より通学の練習が必要かもしれない。幸い近所に同じ小学校へいく児童がある程度いるので、なんとか彼らの波に乗って、ゴールまで辿り着いて欲しいところだ。さらに車の通行量も多く心配は尽きないが、車道を横断する際には、かなり慎重に左右を見て手を上げて渡っていたので、大丈夫と信じたい。
これから、この道をひとりで歩き始めるのかと思うと、自分のその時々の通学シーンを思い返す。小学校は僕も10分程度歩いていた。確かに寄り道は必須事項で、さらに大して差のない近道や、好きな道や、単にいつもと違う道を、わけもなくだらだら歩いていた。そして、その記憶はそれなりに残っている。大人になって久しぶりにその道を辿ってみると、当時の視線が蘇える。たとえ周囲の光景が変わっていても、道の曲がり具合や坂道の感覚、学校の見え方等、刺激される記憶は多い。そして「ああこういう感じだった」という感覚を思い出すのは、過去の自分と再会するようでもある。
正直なところ、僕はあまり学校が好きではなく、友達と遊ぶよりも何か自分で作っている方が楽しいと思う内向的な小学生だったのだが、出来れば娘はたくさん友達を作り、楽しいと思える学校生活を送って欲しいと思う。全国で起こる悲惨な事件をよく耳にするが、そういうしんどい思いとは無縁でいて欲しい。けれど、それほど甘くはなかろう。色んな問題が起こりそうだ。既に今の保育園で、集団行動からのズレを指摘されている。
今、4月に向けて色々準備が進んでいる。それに対して、本人は実に楽しみにしており、僕からすると過度な期待は、必要以上の幻滅に繋がるだけなのではと思うが、夢を見るのは本人の自由だ。笑顔が絶えない毎日を、とまでは望まない。無難でいいから、毎日ちゃんと通える小学校生活が続きますようにと、手を上げて道を歩く娘の後ろ姿を見て思うのだった。

これから、この道をひとりで歩き始めるのかと思うと、自分のその時々の通学シーンを思い返す。小学校は僕も10分程度歩いていた。確かに寄り道は必須事項で、さらに大して差のない近道や、好きな道や、単にいつもと違う道を、わけもなくだらだら歩いていた。そして、その記憶はそれなりに残っている。大人になって久しぶりにその道を辿ってみると、当時の視線が蘇える。たとえ周囲の光景が変わっていても、道の曲がり具合や坂道の感覚、学校の見え方等、刺激される記憶は多い。そして「ああこういう感じだった」という感覚を思い出すのは、過去の自分と再会するようでもある。
正直なところ、僕はあまり学校が好きではなく、友達と遊ぶよりも何か自分で作っている方が楽しいと思う内向的な小学生だったのだが、出来れば娘はたくさん友達を作り、楽しいと思える学校生活を送って欲しいと思う。全国で起こる悲惨な事件をよく耳にするが、そういうしんどい思いとは無縁でいて欲しい。けれど、それほど甘くはなかろう。色んな問題が起こりそうだ。既に今の保育園で、集団行動からのズレを指摘されている。
今、4月に向けて色々準備が進んでいる。それに対して、本人は実に楽しみにしており、僕からすると過度な期待は、必要以上の幻滅に繋がるだけなのではと思うが、夢を見るのは本人の自由だ。笑顔が絶えない毎日を、とまでは望まない。無難でいいから、毎日ちゃんと通える小学校生活が続きますようにと、手を上げて道を歩く娘の後ろ姿を見て思うのだった。
