木を切る

12 01, 2012
以前住んでいた家の庭の松の木に、大量の毛虫が発生し難儀したことがあった。結局切り倒すことにしたのだが、たいして大きくもないのに、生えている木を1本倒すということが意外に大変であることを知った。ギリギリとノコギリでその幹に切り込む感じは、普通の板を切るのとは全く異なるもので、まさに殺生であった。ある程度切り込んだところで、松の木はめりめりと倒れたのだが、達成感以上に「ああ殺してしまった」という意識の方が強かった。

「蓄え(Provision)」ホドリゴ・ブラガ(資生堂ギャラリー)
神話のことば・ブラジル現代写真展というグループ展の中の1点なのだが、強くインスパイアされた。展覧会全体としては、ブラジル人アーティスト達の写真と映像作品を通じて、ブラジル文化に触れようという試みで、神話をテーマにブラジル独特の美意識、自然観、死生観等を考えるというもの。ただ僕は、そういう国別の意識にあまり興味がなく、ブラジルという枠を前提とせずに作品を見たのだが、その中で淡々と独りで穴を掘る映像作品に引きつけられた。

その穴はどんどん大きくなり、自分の背丈以上に深くなり、その人はシャベルですくった土をかなり遠くまでほうり投げていた。だいたい直径10m、深さ5mほどの円形の穴ができたところで、穴堀作業が終わる。そして彼は、おもむろに穴の側に生えていた木を斧でガンガン切り始めたのだった。その刻み方が実に残酷で、いたたまれなくなる。しばらくして木は掘られた穴に向かって倒れていった。調度その木がはまるように穴ができていたのだろう。今度は埋葬するように、倒れた木に向かって土が掛けられる。実際は相当な時間がかかるのだろうけれど、映像では2分後くらいに、木が地中に完全に埋められてしまった。まあそれだけの映像なのだが、その16分間、実に無心に見続けた。何かを坦々と続けていると、どことなく心が平坦になっていくものだが、この穴を掘る、木を切る、埋める、という行為は、同じような流れの中にありつつも、全く異なる性質を帯びており、そのギャップに翻弄された。シャベルが斧に変わる時、明らかに防御から攻撃へのチェンジがあり、人間は凶暴な生き物だと思った。

自然と文化の狭間、本能と理性の狭間で見出す矛盾を見つめ、文明社会に生きる人間が、それを取り巻く自然環境の一部である意識から離れつつあることを考察し、文明と自然の衝突、自然との共生をテーマに、本作では、生と死のサイクルの複雑な意味が、木を切り刻む扇動的なパフォーマンスを通じある種の寓話として表現されている、とのこと。
来月23日まで。
Rodrigo-Braga.jpg
画像:http://macrs.blogspot.jp/2012_07_01_archive.html
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