あえて今まで通りのやり方で

11 25, 2012
1995年に学校を卒業した僕は、会社の仕事に納得できず、なんとか美術をやっていく方法はないかと悩んでいて、そこで注目したのが「スタジオ食堂」だった。メンバーが、中山ダイスケや中村哲也とかで、彼らはその仕事場兼、ギャラリーでもあるスタジオを基点に、実にスタイリシュにアートを展開していた。特に中山ダイスケはギンギンに尖っていて、外見も作品も触れば手が切れそうであった。一度どうしてもその「食堂」に行ってみたくて、何かの催しに参加し訪れたのだが、その時スタジオを案内してくれたのが、メンバーでもある須田氏だった。
以来、素直にファンになり、機会があればかなり遠い丸亀とかまで足を運び、彼の作品を定期的に見続けることになる。そして、その変わらない作風と進化する技術と展示手法に、変わらない感動をもらい続けている。

「須田悦弘 展」須田悦弘(千葉市美術館)
「僕はデザイナーになれなかった、というコンプレックスがあるんです」と当時スタジオ食堂で語っていた須田氏の言葉は今でも鮮明に覚えている。彼は1年で日本デザインセンターをやめたらしいのだが、あそこは入るだけでも相当な難関だと思うので、彼のデザイン力を僕は知らないけれど、かなりのものなのだろう。そしてそれは、空間を自在に操る展示手法に、明らかに生かされており、今回の江戸絵画や版画を見せる展示に結実している。
映画「利休」に多大な影響を受けたらしく、最近初めてその映画を僕も見たのだが、初期の「銀座雑草論」などは、思えばそのまま黄金の茶室であった。その後の展開にしろ、花の置き方、花びらの飛ばし方等、確かにその影響が隠せないが、思えば茶の湯の芸術性は日本の美学の最たるものであり、そこにデザインの力なり、木彫の技術を込めた彼の戦略は、現代アートの中でこそ花開いたのだろう。新作と思われる一畳ほどの漆黒空間に、芙蓉が展示されていたが、腰をかがめてその場所に入る感じなど、見事に茶室のそれであり、そしてそこで対峙する花との世界は、ここまで来た労力が報われるような一瞬を堪能できた。漆の黒に囲まれる体験は、怪しい程に妖艶で、そこにある花も芙蓉でなければならないのだろう。そういう深読みもまた楽しい。

今回6歳の娘も連れて行った。ダークな展示空間に、当初は怖さを隠せなかったようだが、そこに展示されている花々を見ると、怖さが好奇心に切り替わったのか、積極的に作品を鑑賞していた。先ほどの漆黒空間にも挑戦し、ひとりでその芙蓉と静かに向かい合っていた。
そして、相変わらずどこに作品があるのかわからない展示は、子供心をときめかせるのに充分な魅力が満載だった。大人では見つけられないその場所を、子供はすばやく感じ取れるようで、美術館であんなに笑顔を見せてくれると、素直に連れて来てよかったと思う。何も無いと思われた空間に極小の雑草を見つけることで、何かが在る部屋に切り替わり、作品鑑賞が宝探しにシフトする。その予感を孕む視界の変化は、確かに楽しい。

驚くほど美しく製本されたそのカタログを読むと、今回の個展に際し、美術館側からは「今までとは違った新しい試みを」という要請があったらしいのだが、須田氏はそれを断り「あえて今まで通りのやり方で」ということにこだわったようだ。引き出しの数はアーティストにとって豊富な方が有利という話はよく聞くが、そうではなくひとつの世界を突き詰めることで、切り開かれる世界の深化もあろう。その変わらない姿勢で、また次の作品に向かって欲しいと思う。甘露な体験だった。
1030_05.jpg
画像:http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/1030/1030.html
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