家を作る
06 19, 2010
自分の家を妻と借金して作った。もちろん設計は自分でなく建築家で、実際の作業は棟梁や様々なその道のプロの方々で、僕は何をしたかというと収納の床塗りくらいだ。やっていたことのほとんどは、提示されてくる計画に対しての物言いであり、現場の苦労を知らない素人の勝手な希望を羅列していただけだ。いい身分だ。そんな経験は今後もうないだろう。
妻がその人間離れした検索技術で探してくれた、その設計事務所の方々は素晴らしい人達だった。僕は波長の合う人が少ない内向的な人間で、明るくハキハキしたオシャベリな人が苦手で、その建築スタイルどうこう以前に、うまく付き合えるのかという問題があった。できれば大御所でも若手でもなく、年齢が近く価値観を共有できる人が理想で、トップセールスマンタイプでなく、なんとなく暗めな人であって欲しい、という思いがあった。初回のプレゼン時、決して手慣れているわけではない絵をみせながら、彼のコンセプトを誠実に語ってくれる姿は、この人を信用してもいいなあと思わせるものだった。「狭く長い路地を通り玄関の扉を開け、光が漏れる階段を登ると大きな窓を通して、さらに明るい空間にたどり着くというイメージです」という彼の言葉は非常にわかりやすく、想像が膨らむプランだった。オープンハウスに訪れたご家族が、階段をあがってくるにつれて感情を漏らす声を聞くと、そのコンセプトはそのまま実現されたように思え、いい人と出会えていたのだなあと実感した。
スタート時の大筋は、その所長がやってくれたのだと思うが、ほとんどの細かな実作業は、若い女性社員が担当してくれた。打ち合わせの多くはこの方と進めた。つまり多くのディティールは、その女性と妻の掛け合いであった。妻のツボ探しが、その社員の影の任務だった。僕が口を挟む余地がなかったわけではないが、そこまで深く細部を考えていない人間にとって、そのこだわりに対して持ち合わせている言葉などなく、「いいと思います」以外の台詞を思いつけなかった。あるモードに突入した女性達には敵わない、と素直に実感した。正直そこまでこだわらなくてもいいのでは、と思う時もあったが、神は細部に宿るというけれど、その細かな集積が結実する空間は見事だった。こんな家に自分が住んでいいんだろうかと思う出来映えで、妻はその社員に「パーフェクトです」と感想を伝え、その社員さんが過労であろうものもらいの目を見開きながらも、うれしそうに笑顔をこぼしたシーンが印象的だった。何かを解り合えたふたりがそこにいたように思う。
家の中に、光量の変化や空間の大小、天井の高低差といった様々な要素が絡むことで、視線が躍動する感覚を日常体験できることは、実に贅沢なことだ。僕はよく考え込んでしまうのだが、この家にはウツクツさせない空気に満ちていて、これから僕自身がこの家に引っ張られる気がしている。そしてそれは自身のペースを崩すものではなく、眠っている力を引き出してくれるものであるように思えて仕方がない。とはいえこの文章は、明日に引越しを控えて、段ボールに埋もれた状態で書いている。次に自分がどんなことを思うのか、解らないことがうれしい。ただ雨は止んで欲しい。
妻がその人間離れした検索技術で探してくれた、その設計事務所の方々は素晴らしい人達だった。僕は波長の合う人が少ない内向的な人間で、明るくハキハキしたオシャベリな人が苦手で、その建築スタイルどうこう以前に、うまく付き合えるのかという問題があった。できれば大御所でも若手でもなく、年齢が近く価値観を共有できる人が理想で、トップセールスマンタイプでなく、なんとなく暗めな人であって欲しい、という思いがあった。初回のプレゼン時、決して手慣れているわけではない絵をみせながら、彼のコンセプトを誠実に語ってくれる姿は、この人を信用してもいいなあと思わせるものだった。「狭く長い路地を通り玄関の扉を開け、光が漏れる階段を登ると大きな窓を通して、さらに明るい空間にたどり着くというイメージです」という彼の言葉は非常にわかりやすく、想像が膨らむプランだった。オープンハウスに訪れたご家族が、階段をあがってくるにつれて感情を漏らす声を聞くと、そのコンセプトはそのまま実現されたように思え、いい人と出会えていたのだなあと実感した。
スタート時の大筋は、その所長がやってくれたのだと思うが、ほとんどの細かな実作業は、若い女性社員が担当してくれた。打ち合わせの多くはこの方と進めた。つまり多くのディティールは、その女性と妻の掛け合いであった。妻のツボ探しが、その社員の影の任務だった。僕が口を挟む余地がなかったわけではないが、そこまで深く細部を考えていない人間にとって、そのこだわりに対して持ち合わせている言葉などなく、「いいと思います」以外の台詞を思いつけなかった。あるモードに突入した女性達には敵わない、と素直に実感した。正直そこまでこだわらなくてもいいのでは、と思う時もあったが、神は細部に宿るというけれど、その細かな集積が結実する空間は見事だった。こんな家に自分が住んでいいんだろうかと思う出来映えで、妻はその社員に「パーフェクトです」と感想を伝え、その社員さんが過労であろうものもらいの目を見開きながらも、うれしそうに笑顔をこぼしたシーンが印象的だった。何かを解り合えたふたりがそこにいたように思う。
家の中に、光量の変化や空間の大小、天井の高低差といった様々な要素が絡むことで、視線が躍動する感覚を日常体験できることは、実に贅沢なことだ。僕はよく考え込んでしまうのだが、この家にはウツクツさせない空気に満ちていて、これから僕自身がこの家に引っ張られる気がしている。そしてそれは自身のペースを崩すものではなく、眠っている力を引き出してくれるものであるように思えて仕方がない。とはいえこの文章は、明日に引越しを控えて、段ボールに埋もれた状態で書いている。次に自分がどんなことを思うのか、解らないことがうれしい。ただ雨は止んで欲しい。