段ボール

06 12, 2010
脱皮や変態という経験をヒトである僕は体験できない。その内側に蠢く変化の兆しに従い、体全体を入れ替えるその大胆な行為は、いったいどれだけの恐怖と体力を伴うのか全く想像できないが、問題なくそれが達成された時、彼らはものすごい快感に包まれるのではなかろうか。まあそんな感情は蛇や蝶にはないと言われるし、きっとそれが正しいのだろう。
何故そんな想像をするのか、理由は来週引越しするからで、その準備に伴う地味な段ボール詰め作業をなんとか肯定的に捉えたいと思ったからだ。しかし、僕はいったいどれだけの物を引きずって生きているのだろうか。収集癖はないし、無駄使いもしない方だと思うのだが、たぶんこの量は普通でない。本当に持って行ってくれるのかと、心配するほど様々な物を捨てているのだが、未だに進行具合が見えてこない。身軽に生活できる人の軽やかさを尊敬する。途中でやめることが許されない「脱皮」を始めてみたけれど、ちゃんと最後までやり切れるのか不安だ。

普段使わない体力、あるその時まで出番を待つごとく使用されない力というものがあるように思う。地上の植物達が枯れ果てる時を待ち続け、山火事後に発芽する種子のようなもので、僕の場合ひとりで海外へ行った時にその力を味わった。言葉も解らず、知り合いもいない環境で心細くなるわけだが、何日か経つと自らの好奇心が頭をもたげ、急激に活動を始めたことを思い出す。その内側から沸き上がる力は未経験で、自分にこんな力があったのかと不思議に思う程だった。環境の変化がもたらす影響は様々だが、環境に対応して活性化する己を知ることは、生命力の実感と繋がるはずで、僕もなかなかのものじゃないかと思う反面、自分が自分でないような得体のしれなさを思う時でもあった。
家という環境が、そこに移り住む者達をどれだけ変化させるのかは総括できない。ただTVのリフォーム番組は、必ず住人の笑顔でラストシーンを構成しており、その表情は彼らの生命力の活性化から滲むもので、ただの笑顔ではない。家の劇的な変化の面白さ以上に、住人の顔つきの変化が魅力的だろう。そしてそれが多少の美化を伴うが、蝶に変態した芋虫の気分に通ずるように思えたのだ。
僕も蝶の気分を味わえるのだろうか。段ボールに囲まれた現在の状況は、間違いなく芋虫気分なのだが。
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