異なる世界

06 05, 2010
高校生になりたての頃、数学の教科書に文字だけで記述された複雑な数式を見て、それが何を表しているのか全く理解できず、呆然とその数式の羅列を眺めたことがある。理系と文系に分かれる前だったが、素直にこうして人生は枝分かれするのかと思った。その数式は明らかに僕を拒んでおり「君はこっち側に来てはならない」というメッセージを発していた。もちろん僕はそれに従った、悔いはない。
ある程度人生を経てくると、色々な書類を書くシーンに出くわす。例えば、表題登記、保存登記、抵当権設定登記、これらの言葉は、なんとなく生きてきた僕にとって未知のものであり、今まで触れる事すらなかった人間にとって相当な威圧感を持つ。日本語なのだろうが、自分が関わるべき言葉としてのリアルな音感がない。法律用語の得体の知れなさを思う。いいかげん大人だし、そのような逃げの姿勢が許されないことは承知しているが、初めて目にする言葉が連なる書類を前にすると、自分の無力を痛感する。そして何も知らずにここまで来てしまった己を哀れに思いつつ、自分がいる世界とは、全く別の価値観で存在する世界が、様々に乱立している現実に気づく。
先日、資産運用を奨励するサイトを見ていたら次のような文章があった「仕事をしてもしなくても、旅行に行って遊んでいても、安定した収入を半永久的に得ることが大切なのです。もちろん収入を得るイコール労働は不可欠なのですが、その労働を自分で行うのではなく、お金に労働してもらうことにより収入を得る事が重要なのです。」たぶんこれをその通りと共感する人もいるのだろうが、僕にはこういう概念が100%理解できない。器用な人はそういった複数の価値観を股にかけ動きまわるのだろう。資産運用しつつ冒険の旅に出て、風景に感動しながら不滅の定理を発見したりするのかもしれない。まあ僕はその類いではない。ただ、新しいことをしようとする時、その世界には必ずルールなりシステムが存在していて、その門をくぐろうとする者は、苦手だろうがなんだろうが、無条件でそのシステムに従わねばならない。ただ革命を起こしてしまうような逸材は、こういうシステムに対抗できる力を発揮し、彼が望む新しいシステムを構築するのだろう。次の逸材が現れるまでの間だが。
時々、今立っているつもりの世界に、自分は本当に存在しているのか確信が持てなくなる。本人だけがその世界にいるつもりでも、その世界からそっぽを向かれている可能性もあるわけだ。片足を突っ込んでいるだけなのか、頭からどっぷり浸かっている状態なのか、どれ程の覚悟がそこにあるのか、その立ち方のスタンスで見える世界の表情が変わるのだろう。本気度合いを常に試されているように思う。
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