市場主義の限界
06 20, 2012
NYのセントラルパークでは毎夏、市民に無料でシェイクスピアを楽しんでもらうという企画がある。演じる俳優もアル・パチーノなど一流所をそろえており、当然そのチケットを入手しようと行列ができる。しかし最近、ならんでいる方々は「ならび屋」として金で雇われたホームレスであり、結局その舞台を楽しんでいるのは「ならび屋」を雇える金持ち達で、一般市民にお金の心配なく舞台を観て欲しい、という企画サイドの思いは踏みにじられている。
お迎えの時間に親が来ないことを問題と考えたイスラエルの保育園は、罰金として遅刻した親にお金を払うよう要求し、遅刻対策をした。しかし結果は逆で、罰金を延長料金と受け止めた親達は、ますます遅刻を繰り返すようになり、喜んで罰金という名の料金を払い、堂々と遅刻するようになった。あわてた保育園は罰金を廃止し、親の良心を信じたが、結果以前よりも遅刻する親が増えただけであった。
本を読まない子供達に、1冊読むと2ドル支払うという計画がダラスで立てられた。確かに本を読む子供達は増えた。しかし、お金を稼ぐために読むということを覚えた子供は、お金がもらえないなら本は読まないという概念を持ってしまった。読書の楽しみを知って欲しかった企画者の思いは、お金の影響で無になった。
「金で解決する」という市場的概念は、一時的な効果を生む場合もあるが、その裏で何かが腐敗していく可能性を孕むこと、つまり「商品」が出回れば出回るほど、モラル崩壊の危機感を持つべきではないのか、市場主義はこれでいいのか、という問題が本書で提起される。
「それをお金で買いますか・市場主義の限界」マイケル・サンデル(早川書房)
今、 思ってもみなかったものがお金で買えるらしい。冒頭からそれらがこれでもかと列挙され、現状の実態を知るだけでも驚きであった。とにかく商品を作り市場へ出して利益を確保せねばならない、という脅迫観念は全ての企業に浸透し、今更路線を変更できる状態ではない。そして、さらなる新しいビジネスを探して市場主義は進化を続け、今やあらゆるものがお金で取引されるようになった。
例えば以前、生命保険は人々から嫌悪され、ひとの命を金に換算するとは何事か、という議論があったらしいが、今は保険に入っていない人をさがす方が難しい。さらに、裕福層の高齢者から生命保険を買い取って転売する企業も現れた。その保険を買った人は、保険を売った裕福な老人が、早く死ぬことを今か今かと心待ちにしている。このビジネスはサブプライムローンの損害を埋める可能性があると期待されているらしいが、本当にこういうビジネスが必要なのか、モラルはどこへ行ったのか、サンデル教授は、実に様々なサンプルを示し問いただす。
お金で問題を解決しようとする行為に歯止めをかけるのが、道徳心であるようだ。そしてこれが様々なビジネス、もしくはサービス、商品によって蝕まれている。薄々皆気付いていることかもしれないが、人を幸せにする商品などないのかもしれない。所詮ビジネスは金儲けのツールでしかない。金儲けが幸せに繋がる時代もあったのだろうが、今もまだその時代なのだろうか。所詮お金で買えるものは、売れるものだ。できれば、お金以外を信じられる生活をしたいと思う。もちろん本書に明確な解決方法は描かれていない。そんなことは誰にもわからない。熟議が必要とだけある。確かにそうなのだろう。
お迎えの時間に親が来ないことを問題と考えたイスラエルの保育園は、罰金として遅刻した親にお金を払うよう要求し、遅刻対策をした。しかし結果は逆で、罰金を延長料金と受け止めた親達は、ますます遅刻を繰り返すようになり、喜んで罰金という名の料金を払い、堂々と遅刻するようになった。あわてた保育園は罰金を廃止し、親の良心を信じたが、結果以前よりも遅刻する親が増えただけであった。
本を読まない子供達に、1冊読むと2ドル支払うという計画がダラスで立てられた。確かに本を読む子供達は増えた。しかし、お金を稼ぐために読むということを覚えた子供は、お金がもらえないなら本は読まないという概念を持ってしまった。読書の楽しみを知って欲しかった企画者の思いは、お金の影響で無になった。
「金で解決する」という市場的概念は、一時的な効果を生む場合もあるが、その裏で何かが腐敗していく可能性を孕むこと、つまり「商品」が出回れば出回るほど、モラル崩壊の危機感を持つべきではないのか、市場主義はこれでいいのか、という問題が本書で提起される。
「それをお金で買いますか・市場主義の限界」マイケル・サンデル(早川書房)
今、 思ってもみなかったものがお金で買えるらしい。冒頭からそれらがこれでもかと列挙され、現状の実態を知るだけでも驚きであった。とにかく商品を作り市場へ出して利益を確保せねばならない、という脅迫観念は全ての企業に浸透し、今更路線を変更できる状態ではない。そして、さらなる新しいビジネスを探して市場主義は進化を続け、今やあらゆるものがお金で取引されるようになった。
例えば以前、生命保険は人々から嫌悪され、ひとの命を金に換算するとは何事か、という議論があったらしいが、今は保険に入っていない人をさがす方が難しい。さらに、裕福層の高齢者から生命保険を買い取って転売する企業も現れた。その保険を買った人は、保険を売った裕福な老人が、早く死ぬことを今か今かと心待ちにしている。このビジネスはサブプライムローンの損害を埋める可能性があると期待されているらしいが、本当にこういうビジネスが必要なのか、モラルはどこへ行ったのか、サンデル教授は、実に様々なサンプルを示し問いただす。
お金で問題を解決しようとする行為に歯止めをかけるのが、道徳心であるようだ。そしてこれが様々なビジネス、もしくはサービス、商品によって蝕まれている。薄々皆気付いていることかもしれないが、人を幸せにする商品などないのかもしれない。所詮ビジネスは金儲けのツールでしかない。金儲けが幸せに繋がる時代もあったのだろうが、今もまだその時代なのだろうか。所詮お金で買えるものは、売れるものだ。できれば、お金以外を信じられる生活をしたいと思う。もちろん本書に明確な解決方法は描かれていない。そんなことは誰にもわからない。熟議が必要とだけある。確かにそうなのだろう。