巨匠と無名作家

05 16, 2012
もう随分前に亡くなったのだが、石川県の白山市に住んでいた僕の祖父は、死ぬまで油彩で白山を描いていた。どうもセザンヌが好きだったようで、その影響がもろに感じられるその作品群に、僕はかなり影響された。実家には今でも祖父の残した絵がいたるところに飾られており、時折帰省するとその絵を目にすることになる。覚えているのは、僕が高校生になって初めて油彩を始めた頃に、どういう経緯か忘れたが、祖父の家で籠に積まれた桃を描くことになり、まあ描いたのだが、僕のタッチのいいかげんさに見ていられなかったのだろう、祖父が「モチーフはそのものの色で描くのではなく、その絵の中でのふさわしい色で描かなければならない、それを探さなければいけない」的なことを言って、絵の中の桃と籠に手を入れ始めた。ほんの数回のタッチが加わっただけなのだが、明らかに絵の中で桃はより桃になり、籠はその籠らしさを増し、絵の世界観がぐぐっと引き上げられたのだった。その事実を複製するのではなく、絵の中でその世界をもう一度立ち上げ直すことを学んだ瞬間だった。それ以降、美大に入った後も色々な作品を見せたのだが、祖父は目を細めて観るだけで、何も感想を言ってはくれなかった。そしてその内疎遠になり、そのまま対話することなく祖父は亡くなる。大量に残された作品や道具は親族に分配された。今僕が使っているパレットナイフはその祖父の形見である。

先日、国立新美術館のセザンヌを観たのだが、その展示コンセプトの「パリとプロヴァンスを行き来することでの作品の差」というのは僕にとってはあまり響くものではなかった。会場で感じていたのは、それまでずっと忘れていた祖父の絵画のことであった。「モチーフはそのものの色で描くのではなく、その絵の中でのふさわしい色で描かなければならない、それを探さなければいけない」という言葉が何度もリフレインした。祖父が死ぬまで白山を描いていたのは、セザンヌのサント・ヴィクトワール山との関係を思ってのことだろうし、たぶん個人的にずっとそのタッチを研究していたはずだ。ただ祖父は素人画家で、その作品は美術市場で取引されることはなかったし、個展をしたという話も聞いたことがない、ただ黙々と発表するのではなく絵を趣味として描いていた人だ。だからというわけではないが、比べることに意味はないし、全くもって当然なのだが、セザンヌは祖父より圧倒的に上手なのであった。そして僕は祖父の絵画を知っていたがために、その凄さを目の当たりにできたのだと思う。つまり僕にとって祖父は、絵画に重要なタッチを入れられる最初の人物だったわけだが、それを遥かに凌駕する巨匠セザンヌのタッチは、まあ凄いのだった。晩年に近づく程に、セザンヌはその色彩に透明感が増してくる。サラサラと描かれているようなその集積が、ある距離をもって観ると、タッチと色彩が魔法のように響き合う様は実に見事であり、ただ呆然と観ることしかできなかった。祖父がどうセザンヌを考えていたのか聞いてみたかった。

作品は様々な時間軸を内包しており、それは常にライブなものだ。今まで何度もセザンヌを観たことはあったが、今回初めて彼の作品を観て祖父を思い出した。世界の巨匠と無名作家の作品が、僕の意識の中で勝手な議論を始めていた。今までずっと観てきた祖父の作品が、いま初めて僕の前に開かれたのかもしれない。今一度祖父の作品が観たくなった。本人と話をすることはもう不可能だが、素人ながらもセザンヌに挑んでいた祖父の姿を思うと、なんだが嬉しくなるのだった。
cezanne.jpg
http://www.y-history.net/wh_note/note_1204.html
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任田進一

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