キャパ

05 08, 2012
明らかに自分のキャパを実感することがある。それは大事な用事が頭からすっぱり消え去っていたことを、後になって指摘され思い出すときだ。それはもう100%自分が悪いわけで、一切の言い訳が効かない。そうなった時「ああ。これが自分の限界だったのか」と思う。今回はそのパターンではないが、似たようなことがあった。つまり連休になり「この何時間後に~をせねばならない」という状況から解放され、考えねばならない案件ではあったが、後回しが可能であったそれらが、一挙に頭を刺激し始めたからだ。こんなに決めなければいけない事があったのに、僕はこの2週間一回も考えなかった、もしくは一片の姿も頭に浮かばなかったという事実に少々たじろぐ。たぶん、それ以上頭を使わないよう本能の規制意識が働いたのかもしれない。よく、ものすごく緊張すると逆に眠くなるが、あれは、それ以上考えたって無駄だと、本能が「休め」の指令を出すからだと聞いたことがある。ああ、これで解放されたと思い。コーヒーを飲んでいたら、5月末に提出する「ある展示の計画書とその見積もり」というのを唐突に思い出した。いやそれは手帳に書いてあったので、見てはいたが、それに対して頭が反応していてなかった。しかし、目の前を塞いでいた雑草が一時消えたら、その先の片付けるべき壁がドーンと見えてきて、それがどんどん近づいてきていて、早いとこ壊しておかないと、また目の前の刹那系仕事が、わらわら生えてきて対処に追われることは明白で、そうなっている間に壁と激突することだけは避けたい、であれば今この時にそれを考えなければ、僕には時間がないんだと思い至ると、なんだか悲しいのだった。それは別に展示の計画を考えることが悲しいのではなくて、そういう達観した見方が自分に出来ていなかったことが、それなわけで、あの「ああ。これが自分の限界だったのか」というキャパが見えてしまうことが、まさに自分の器とか力量を知ってしまうことに繋がり、まあ自分はこの程度かと思うことが、つまりは悲しいということ。
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