錯覚
04 07, 2012
冗談のように仕事が詰まってきて、身動きがとれなくなり少々戸惑ってしまうのだが、こういう時にいいのは桁外れなアートへ思いを馳せるに限る。荒涼とした空間(ニューメキシコ州カトロン郡の砂漠)にステンレスの棒を均等に埋め込み、雷が落ちるのを待つ作品とか、地中に1キロの長さで棒を埋め込んだ作品(見えるのはほんの少しの先端しかないゆえ、ほとんど認知できない)とかだ。こういう実在しつつも伝説のような作品は、写真でしか見れない。そこへ行くには、海外へ飛びレンタカーで4時間以上走らないと辿り着けない。たぶん実物を見る時間は一生取れそうにない。しかもたとえそこへ着いたとして、タイミングよく雷が落ちる程現実は甘くない。事実その棒への落雷は17年間で9回だそうだ。こういう人間を中心とした時間を無視する作品の壮大なコンセプトを思うと、自分が引っ掻き回されている仕事の規模との落差を実感できて笑えてくる。ウォルター・デ・マリアの作品は直島でいくつか観たけれど、できればいつか、ギャラリーを土で埋めた「アース・ルーム」ぐらいは観たいと思う。頭で理解することと体験することの差は、限りなく大きいのだ。身動きを縛る要素が、世界の全てのように思えてしまうが、それは大きな間違いだ。



画像:http://theredlist.fr/wiki-2-351-382-1160-1122-view-usa-profile-de-maria-walter.html

画像:http://tsuchiyastudio2011ma.blogspot.jp/2011/05/new-york-earth-room-1977.html



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