本物

03 23, 2012
瀝青ウラン鉱の中からラジウムを発見したキュリー夫人は、そのわずかな光を見つけるため、思い込みに左右されない眼の力(純粋さ)を保つ必要があったらしい。そのキュリー夫人に憧れ「眼を洗う」と称して「絵を描く前に、夜空の星を見て眼の訓練をした」という彼の言葉に僕はやられ、それから彼の言葉は、どれも僕にとって重要になった。「強烈なコンセプトがあれば、必ず手はついてくる」とか「キャンバスは絵の完成と同時に立ち上がらなければならない」などは、作品の在り方として至極まっとうに思えた。以前、近代美術館でのアーティストトークで「絵はもっと自由でいい」「光の中に飛び込む」「僕は生きている光を相手にしている」等々、かなりドリーミーな言葉を彼は言い放っていたが、もう何でも響いてきた。最近は、自己アピールが上手な作家スタイルが流行っているが、彼ほどその言葉が似合わない人もいないだろう。とにかく僕にとって、現存する芸術家の中で最も信頼している人は彼であり、その思いは今も変わらない。そこには明らかな「本物」があると思う。

「LOVE もっとひどい絵を!美しい絵 愛を口にする以上 2012, spring」 小林正人
(シュウゴアーツ)
もう盲目的ファンなので、なんでもありがたがってしまうのかもしれないが、その作品を観ていると、いつも相当な「やっちゃった感」をぶつけられる。僕がちまちま気にしてしまう「完成度」という概念を、この人は徹底的に壊してくれる。彼はさらに美しい絵を描くための呪文として「もっとひどい絵を!」と言うらしいが、その逆説性は制作をする人であれば、誰でも無理なく理解できるものだ。一番の敵は整えようとする心であり、美しい着地点を思わず探ってしまう弱さなのだ。彼の作品が持つ、常に壊しつつも立ち上がってくる絵の強さは、それを作品自体が見事に体現しているからだろう。そこには計算や段取りから解き放たれた、どこまでも純粋な制作行為しかない。自由とはこういうことかと思う。
前回もそうだったが、ここ最近は色が随分変化し、甘いお菓子を思わせるカラーリングになった。女性を描いているからだろうか。以前の「光」から随分変化したように見受けられる。真面目に購入を考えたが、小品は全て完売だった。仕方ない。

「絵の終わりである縁と壁の間には、無限の空間があると思うんです」と彼は語っていた。そこからキャンバスの木枠が解体され、縁と壁の境界が曖昧になり、絵画は枠組みから解放された。その圧倒的な未完成的完成作品を観た時、この人のやっている行為が、どこまでも芸術に対して真摯に思え、その凄さを見せつけられたのだった。作品一発で「本物」は他を圧倒し偽物は吹き飛ばされる。大仰に見せるとか、意味合いとして飾り立てることや、職人的に作品を作るとかではない「純度の高い制作行為とは何か」という厳しい問いを、この人の作品を観ると、いつも突きつけられる。4月21日まで。
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この星のモデル(画家)#4, 2011, oil, acrylic, canvas, wood, 18×14×4cm / 画像:シュウゴアーツ
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