別名保存
03 07, 2012
僕の家の南側は空き地なのだが、土地が1mほど下がっている状態だったので、もしそこに家が建っても、それほど日当りに差はないと思っていた。しかしその考えは甘かった。先月から、工事が始まったのだが、なんと土地そのものの底上げがからスタートしたのであった。1mの底上げなんて余裕と言わんばかりに、コンクリートの壁面ができ、ガンガン土が盛られあっという間に高低差がなくなっていく、その風景のぶっ壊し具合がすざまじく、数日で以前の光景は無情にも過去になった。パワーショベルのパワーを思い知った。しかし、いくらコンクリ壁で押さえているからといって、その強引な地形作りには違和感を覚える。ちゃんと地盤は安定するんだろうか。しかし、大規模な埋め立てとか、もっと過酷な工事は多々あるだろうから、なんの問題もないのだろう。ただ夏場にあれほど生い茂っていた雑草が、一瞬で消え去るシーンを見ていると微妙な気分だ。しかし、自分の家も地盤の底上げこそはしていないが、雑草を一掃して建てたわけで同じといえば同じなのだ。ここは完全な住宅地であって、自然(空き地を自然とはいわないかもしれないが)と共存する地域ではない。空き地が次々に消える運命の調布市であった。どういう家が建つのか知る由もないが、背後の家を考えた建築にしてほしいと思う。どうか周囲を無視した建て売り住宅になりませんようにと願うが、きっとこれも甘い考えなのだろう。
僕は最寄り駅まで自転車で15分ほどの、非常に駅遠(駅近ではない)の区域に住んでいるのだが、駅までの風景も次々に変わっていく、学校がまるごとなくなったり、住宅展示場が消え「いなげや」や「しまむら」が出来たりする。そこらじゅうで始まる建て売り住宅の工事なんて1ヶ月ぐらいで完成していくイメージだ。巨大な「島忠」も出現した。そういえば駅前のビルも新しくなっていたし、思えば駅自体も駐輪場を作るべく改築されたのだった。目にしている風景が様々に変わっている事実を、どうも記憶が上書きされている分、忘れていたようだ。昔は~が建っていたという話に、それほど興味はなかったが、もう自分がそういう話をできる状態なのであった。新参者のつもりだったが、土地の過去を知っていると、地元民のような気分になる。ただそうやって近隣の共有情報が蓄積されて、生活は根付いていくのかもしれない。これから記憶は上書きではなく別名保存し、 なんとなくでも場の変遷を覚えていこうと思った。変化そのものは止められないが、変化の過程を知ることは無意味ではない気がする。
僕は最寄り駅まで自転車で15分ほどの、非常に駅遠(駅近ではない)の区域に住んでいるのだが、駅までの風景も次々に変わっていく、学校がまるごとなくなったり、住宅展示場が消え「いなげや」や「しまむら」が出来たりする。そこらじゅうで始まる建て売り住宅の工事なんて1ヶ月ぐらいで完成していくイメージだ。巨大な「島忠」も出現した。そういえば駅前のビルも新しくなっていたし、思えば駅自体も駐輪場を作るべく改築されたのだった。目にしている風景が様々に変わっている事実を、どうも記憶が上書きされている分、忘れていたようだ。昔は~が建っていたという話に、それほど興味はなかったが、もう自分がそういう話をできる状態なのであった。新参者のつもりだったが、土地の過去を知っていると、地元民のような気分になる。ただそうやって近隣の共有情報が蓄積されて、生活は根付いていくのかもしれない。これから記憶は上書きではなく別名保存し、 なんとなくでも場の変遷を覚えていこうと思った。変化そのものは止められないが、変化の過程を知ることは無意味ではない気がする。