デビュー作

01 13, 2012
コンクリート打ちっぱなしの、いかにもという建物の扉を開けて中に入ると、巨大な黒く焦げたドーナツ型の物体がごろりと置かれている。遠藤利克の仕事だ。タール臭が空間を満たしており、その物質感のリアルな迫力を助長している。穴の奥を見たくなるが、あまりに大きいので、のぞくのがやっとという感じだ。大きいことが何より重要とは思わないが、ここまで大きいとあまりに非日常的で楽しい。以前観たのは、水を木のコンテナのような物に封じ込めるという作品だった。展示物は水ということなのだが、見ているものは木の表面で、どうも馴染めなかった。このタールで黒こげタイプは、THE 遠藤という感じで新規性はないが満腹度は高い。これは彫刻のひとつの到達点という気がする。

この秋山画廊に行く途中に建築専門の書籍店があり、気になったので入ってみた。奥がギャラリーになっており入場料を払って中へ。建物は古いけれど、奥へ進むと新たな空間が見えるという、不思議な広さを備えたギャラリーで高揚感を味わえる。名だたるスター建築家のデビュー作を、その図面と模型から探っていく展示だった。それぞれの模型の作り方があまりにバラバラで、恐ろしいほど個性があった。ねん土でぐちゃっと作られたこぶし大くらいの模型があり、なんのことだが全くわからなかった。これを見せられたクライアントはさぞ戸惑っただろう。ペラペラの紙で四角い枠をバラバラと転がしている病院の模型もあった、見事なラフさであった。安藤忠雄の住吉の長屋もお約束のようにあった。木でキッチリ作られており無駄のなさが際立ち、確固とした意思が見受けられた。
デビュー作というのは、それぞれのスタートラインというべき立ち位置を示しており、種から発芽へのシーンに重なる。そして、ここからどう開花したかは、周知の事実というわけだ。僕は素人なので、できれば同時に最新作の写真もあればもっと楽しめたかもしれない。ただ、この場所は建築専門の書籍を売る場所で、観に来る方々はその筋のプロばかりだ、素人など眼中になかろう。

デビュー作ということでもう少し。
この場合、デビュー作とは、初めて作った作品ということではない。プロとして世間に通用するラインを、初めて越えた作品ということだろう。だからそこへ至るまでに、埋もれてきた数々の作品があるように思う。

先日、neutronで三瀬夏之介氏が率いるグループ展を観た。参加人数は20名以上、作品数も100点を超える力の入った展示だった。参加作家は、三瀬氏の教え子さん達が多いと思われ皆若い。それら作品の数々を観て思ったのは、何故か自分の封印した過去作品のことだった。これは、決して今回展示されている作品の完成度が低い、という話をしているわけではない。若い作家達の作品を続けざまに観たことで、眠っていた記憶が刺激され、個人的な昔の感覚を思い出しただけだ。
僕は卒業直後とにかく制作せねば、という思いが先行していた。コンセプト以上に作ること自体に意味があった。頭より手が先に動いていた。残念なことに、そういうスタンスで作った作品はもう残っていない。現実の諸事情に負け、保管に足る作品ではなかったということだろう。しかし、そういう作品達に意味がなかったとは思わない。逆にそれらがあったからこそ、今の自分があると思っている。
neutronの空間に埋め尽くされた作品達を観ていると、完成度やコンセプトという言葉ではなく、絵を描きたいとか制作に没頭したいという作者それぞれの思いが、束になって迫ってくるようだった。それらが、どのように発芽へのきっかけを掴み、デビュー作への着手に繋がるのだろうか。目の前の作品から将来を想像しつつ、刺激をもらい続けた。

「空洞説―円還⇔壷」遠藤利克(秋山画廊)2/11まで
「現代建築家のデビュー作 展」(GA gallery)1/22まで
「東北画は可能か?」三瀬夏之介ほか(neutron tokyo)1/29まで
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