おぞましい場所

04 17, 2010
随分昔に訪れたその場所は、夏の青空と緑の木々と赤いレンガの建物が調和する美しいと言ってもいいような空気に包まれていた。暗く重い何かが充満しているおぞましい場所を想像していたのだが、その建物内部の展示物と空間を横切る有刺鉄線を見ない限り、そこは平穏な場所だった。

「夜と霧」V.E.フランクル 池田香代子 訳(みすず書房)
心理学者である著者の強制収容所体験を綴った超がつく有名な本。その重そうな内容もあって手を出しづらかったのだが、新訳が発売されたのを期に購入した。凄惨なナチスの行為が容赦なく続く中で、なぜ生きられたのかを分析する著者の言葉が生々しく、それは今でも充分通用する理性に満ちている。彼の記述に、強制収容所内で最も残虐な行為を続けた人間は、カポーと呼ばれる収容者を管理するユダヤ人達であり、ナチスの人間ではなかった。という箇所がある「どちら側かではない、まともな人間とそうでない人間がいるだけだ」と語る所以なのだろう。ただ本の内容をここで細かく紹介する気はない、それは体験者である著者の言葉から直に読み取るべきだと思う。ここで書こうと思うのは、著作を読むことで思い出した自分の体験にしたい。

学生の頃心酔したクリスチャン・ボルタンスキーという作家がいた。膨大な古着を空間に敷き詰めたり、遺影的な写真で祭壇のようなものを作り、それらを闇の中に配し光をあてる幻想的なインスタレーションが彼の代表作なのだが、当時の僕はその重厚な雰囲気にすっかりのぼせていた。1979年に負の世界遺産に認定されたアウシュビッツは、現在ポーランド国立オフィシエンチム博物館として公開されている。そこに並ぶかつて収容所だった建物内部に様々な展示がある。それを展示と呼べるのかわからないが、僕がそこで目撃したものは、退色しきった灰色の「山」だった。それらは、犠牲者の靴であり、眼鏡、鞄なのだが、建物内部が暗く窓からの光はその「山」の一部にしか届かないため、その頂点は遠く暗く霞んでいる。別の展示では、犠牲者のポートレイトが壁一面に隙間無く掛かっていた。年齢性別に関係なくそこに多くの表情があった。思いを消し去った大人もいれば、はにかむ子供もいるわけだ。ただ見上げるしかない「山」や、どこまで歩いても終わらないこちらを見つめる壁一面の顔と対峙する経験は、間違っても気持ちよいものではなく、言語化できない初体験というしかないが、これを見た人と見ていない人で人種を二分できるのではないかと思うほどに、重い経験だった。
クリスチャン・ボルタンスキーへの憧れは霧散した。彼はこの事実を舞台セット的にアレンジしただけだった。セットはセットでしかない、事実としての強度に対抗できるわけがない。そして無知ゆえの勝手な憧れほど、手に負えぬものもない。犠牲者の目を見て自分の目が醒めた気分だった。建物の外へ出ると、戸惑うほど鮮やかで静寂な光景が広がっていた。そのギャップはにわかに受け入れがたいもので、雨でも降ればいいのにと思ったことを覚えている。
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