体内時計
12 30, 2009
僕は38歳なのだが、20代前半の頃に38歳としての自分を考えたことがなかった。恥ずかしいが、今も20代前半の感覚で生きているつもりだったが、現実は厳しい。その年齢差には大きな隔たりがある。先日見た大学生は、ほとんどが平成生まれなのだ。
20代に制作した作品を見ると、その稚拙な奔放さにあきれる。
この感覚は自分が成長したからだと思いたいが、20代の自分が現在の僕のそれを見るとなんと言うだろうか。年齢としてのあり方に縛り付けられて、体裁を整えただけだと、つっこまれるかもしれない。
ただ明らかに、もう過去の感覚は取り戻せないことを、若い時分の作品を見ると実感する。そして間違いなく、僕は思った以上に年をとったらしいと納得させられる。
福岡伸一の動的平衡(木楽社)の中に、実感する時の速度と、実際のそれとのズレを解説している箇所がある。ざっくり要約してしまうと、人間の新陳代謝速度は加齢と共に遅くなっていて、体内時計が現実の時間よりも遅く回っている、ということらしい。1年の感じ方が遅くなっているのに、実際の物理的な時間は、常に同じ速度で過ぎていく。だからこそ、もう1年経つのか?などと思うようだ。
もちろん人それぞれの性格もあり、せっかちな人とのんびりした人の差も無視できないし、捉え方は様々だが、「ついていけない」が連発される時は、なんとか現実の時間と自分の体内時計をリンクさせようとあがいている状態と言えるかもしれない。
仕事が休みになる長期休暇の始めは、誰でもそうだろうが気分がいい。
「ついていく」必要がないからだろう。年末の路上を自転車で走っていると、緩い空気に満ちていて、その暮れとしての感覚を思い出す。
20代に制作した作品を見ると、その稚拙な奔放さにあきれる。
この感覚は自分が成長したからだと思いたいが、20代の自分が現在の僕のそれを見るとなんと言うだろうか。年齢としてのあり方に縛り付けられて、体裁を整えただけだと、つっこまれるかもしれない。
ただ明らかに、もう過去の感覚は取り戻せないことを、若い時分の作品を見ると実感する。そして間違いなく、僕は思った以上に年をとったらしいと納得させられる。
福岡伸一の動的平衡(木楽社)の中に、実感する時の速度と、実際のそれとのズレを解説している箇所がある。ざっくり要約してしまうと、人間の新陳代謝速度は加齢と共に遅くなっていて、体内時計が現実の時間よりも遅く回っている、ということらしい。1年の感じ方が遅くなっているのに、実際の物理的な時間は、常に同じ速度で過ぎていく。だからこそ、もう1年経つのか?などと思うようだ。
もちろん人それぞれの性格もあり、せっかちな人とのんびりした人の差も無視できないし、捉え方は様々だが、「ついていけない」が連発される時は、なんとか現実の時間と自分の体内時計をリンクさせようとあがいている状態と言えるかもしれない。
仕事が休みになる長期休暇の始めは、誰でもそうだろうが気分がいい。
「ついていく」必要がないからだろう。年末の路上を自転車で走っていると、緩い空気に満ちていて、その暮れとしての感覚を思い出す。