祖母
04 10, 2010
先日1910 年生まれの祖母が100歳になった。どういう感覚なのだろうか。厳しい時代を経験したからこそ、長生き出来るとはよく言われるが、マイペースを守り日常をクリアーしているうちに100歳になったわけではないだろう。思うに祖母の凄さは、極度の心配性というその性格にある気がする。それは、祖母の教えを継承する母を見ればあきらかで、僕の場合一緒に暮す期間は19年で限界だった。母の価値観の絶対性は決して曲げられたことがなく、確かに正しいのだが、それを押し付けられる俗性の高い人間には堪え難いものがあり、その傾向は食事の好みによく現れた。目を剥く薄味や徹底したヴェリーウェルダン、猛暑での温い牛乳などが母の定番だった。刺激物や生もの、冷たい物を食す行為は、まるで悪事のような扱いだった。もちろんお酒も飲まない。理由はお酒で失敗したからだそうだ。しかし、母の「グラスワインを飲んで、廊下でふらっと壁にもたれてしまったの」という逸話からは、どこが失敗なのか到底理解できない。以後母は祝いの席で1センチくらいはビールをすするものの、基本的に養命酒しか飲んでいない。
母は祖母を尊敬し、言われたことに全く疑いが無かったようで、職業も結婚も勧められるままだった。逆に祖母は母を思いのままに育てた。この思いのままというのが重要で、要するにひたすら丁寧に無難に生きることを求めたのだ。母は家族に対し色々強制したが、それは自分に対しても同等だった。いわゆる我慢への抵抗がなく、それはあなたにとって快楽なのか、という程に欲を嫌悪していた。薄味も温かい牛乳も子供の身体を思ってのことなのだろうし、僕は母がだらけているシーンを見たことが無い、たぶん母も同じだろう。
何が言いたいのか、つまり祖母こそが極度に禁欲的で慎ましい生活をしてきたのだろうということだ。自分のための行動(遊ぶこと)などほとんどなかったのではなかろうか。ひたすら家族を思い子供を育てあげ、100歳になった。誕生日には何やら行政機関からお祝いが届いたそうだ。祖母は今でも孫を心配し、去年配偶者を亡くした娘(母)を慰めるべく電話をかけ、お金を送っていた。そういった人への気がかりと、比類無く保守的ではあるが真面目な思考が、100年以上祖母を生かしている原動力に思えてならない。
母は祖母を尊敬し、言われたことに全く疑いが無かったようで、職業も結婚も勧められるままだった。逆に祖母は母を思いのままに育てた。この思いのままというのが重要で、要するにひたすら丁寧に無難に生きることを求めたのだ。母は家族に対し色々強制したが、それは自分に対しても同等だった。いわゆる我慢への抵抗がなく、それはあなたにとって快楽なのか、という程に欲を嫌悪していた。薄味も温かい牛乳も子供の身体を思ってのことなのだろうし、僕は母がだらけているシーンを見たことが無い、たぶん母も同じだろう。
何が言いたいのか、つまり祖母こそが極度に禁欲的で慎ましい生活をしてきたのだろうということだ。自分のための行動(遊ぶこと)などほとんどなかったのではなかろうか。ひたすら家族を思い子供を育てあげ、100歳になった。誕生日には何やら行政機関からお祝いが届いたそうだ。祖母は今でも孫を心配し、去年配偶者を亡くした娘(母)を慰めるべく電話をかけ、お金を送っていた。そういった人への気がかりと、比類無く保守的ではあるが真面目な思考が、100年以上祖母を生かしている原動力に思えてならない。