輪廻転生

11 26, 2011
写真に限ったことではなけれど、展示方法には様々なやり方がある。額に入れるのがスタンダードだが、その額にも色んなタイプがある。フレームの色や余白の開け方など、そのプレゼン手法には、作家の第二の個性が出ると思う。しかし、その見せ方が話題になることは少ない。まあそれは当たり前で、写されているモノが重要なわけだが、僕はその導入部ともいうべき展示手法が、写真作品を観る時いつも気になってしまう。

「REBORN “Tulkus’Mountain(Scene1)”」津田直(hiromiyoshii)
プリントサイズはそれほど大きくない。しかし縦位置で上下に組まれるように展示されている。上には霧に霞む木の写真、下はそれに呼応するような僧侶の写真がある。印画紙はマットで、写されている柔らかな光景と非常に合致している。フレームは木製の濃い茶色でガラスがない。空間は暗く、写真に合わせて切り取られた四角い光があたっており、写真そのものがぼわりと発光しているように見える。魅入れる。僧侶も弱い自然光で撮影されており、その表情もおぼろげであるが、どことなく微笑んでいて柔らかい。上にある木と、下の人間の存在感をリンクさせているのだろう。

タイトルにもあるトゥルクとは輪廻転生を信じるチベット仏教圏において、化身を意味する言葉らしい。現実の存在も、その考え方であれば全ては化身ということか。しかし彼らの魂は、転生していくので消えることはない。ちょうどその気候が維持される限りは、死なない木のように。

鮮明に写すことが流行った。画素数にモノを言わせて巨大にプリントし、目で見えないような世界を切り取ることが、写真の新たなブームを引き起こした。しかし、今回の津田氏の写真はそれと逆行しているように見受けられるが、その鮮明でないその光景は決して荒くはない、逆に実にきめ細かい。しかしそれらは霞んでいてよく見えない。それは実態に届かせない工夫なのだろう。存在感が表面に左右されないよう、輪廻転生していく流れそのものに迫るためか、コントラストが限界までなくなったようなその描写は、写真の持つ一瞬という要素を消して、普遍的な時間の概念を加えているように思えた。

ガラスがないことで反射がなく、ひたすら柔らかいその作品のプレゼン方法は、実に見事だった。観れてよかった。本日が最終日。
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