侍とは

11 24, 2011
僕はある会社に勤めているが、社長と話したことは1回しかない。だからというわけではないが、あの社長に尽くしているという感覚が全くない。どちらかというと天皇ぐらい遠い関係の人だ。では上司に対して尽くしているかとなると、それも危うい。たぶん尽くすという感覚が現代にはそぐわない行為なのだと思う。基本的人権が尊重される今、組織は仕事上あるが、それは入れ替え可能なフォーマットに近い。僕は明らかに自分や家族のために働いているのであって、僕を雇っている人のために動いているわけではない。

「十三人の刺客」三池崇史(2010年日本)
時代劇だ。しつこい程に行動の前には言葉がくる。そして、その台詞の多くが格言のようである。「主君のために尽くすことが武士」vs「天下万民のためになすべき事をなす」がお互いの侍魂を賭けてぶつかる。そんなこと言っている暇があったら、極端な量の爆弾を用意して、さっさと事を完遂すればいいではないかと思うが、それは効率重視のつまらぬ考えだ。個人の意思ではなく、そこを超えたそれぞれが思う大義や正義が重要なのだろう。武士道に詳しくないので不明瞭なのだが、そんなにも主君という存在が尊いものなのか、現代人である僕にはどうにもこうにも理解できなかった。
侍であるということが、人間であるということより優位になるのかが非常に疑問なのだが、市村正親はそれを疑わず侍であることを優先する。映画のキャラとはいえ、無抵抗に泣く幼ない命を気まぐれに奪う稲垣吾郎は、明らかに狂っている。そんな主君を守る価値がどこにあるのか。役所広司が問う「おぬしが一番わかっているのではないのか」対して市村が叫ぶ「それをいうな」と。結局考えたくないだけではないのか、主君に使えるという美辞麗句を勝手に当てはめ、無惨に殺されていく無力な人々を見たくないだけではなかったのか。

困った個人が権力を握る不条理を思う。その家臣達は不遇で、切ない限りだろう。問題の主君、稲垣吾郎が「戦乱の世を復活させよう」と嬉しそうに話した直後に、光石研が松方弘樹に切られ「殿をたのむ」という言葉を残して死ぬのだが、心からそう思うのか、どこかで暴君が殺されることを望んでいたのではないのか、と聞きたくなった。
怖いなあと思ったのは、暗闇に浮き上がる白塗りの吹石一恵ではもちろんないが、エグい惨殺描写でもない、主君を盲目的に守ろうとする家臣達が、それを忠義として自分を美化し思考を停止していることだ。それは現在でも融通が効かない人の端々に感じる同じ臭いで、とても困る。いけないことは、いけないと言った方がいい。上がやれと言ったからではなく、自分の頭で考え判断した方がいい。それがある程度できる時代に生まれて、本当によかったと思う。

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