ナチュラル・ストーリーズ 畠山直哉

10 27, 2011
岩石むき出しの採掘現場が、むくむくと盛り上がり画面いっぱいに巨大な石が飛び散る様は圧倒的だった。連写した35mmフィルムを高解像度スキャンし、連続投影することで動画的効果を生み出すその手法を、僕は今回初めて観た。山は動かないと認識している僕にとって、その山が膨れ上がって爆発するシーンは、異様としか形容できない、このブラストシリーズは既に写真で何度も観ていたにも関わらず、それが実物大に近い形で動くだけで、全く異なる印象を受けた。そしてなんと突拍子もないことを、この人は仕出かしたのかと思った。

「ナチュラル・ストーリーズ」畠山直哉(東京都写真美術館)
その日は、畠山直哉と池澤夏樹の対談が予定されており、是非とも聞きたかったのだが、夕方のこのこ出かけた人間に、その席があるほど現実は甘くない。残念だが仕方ない。
しかし、その展示は相変わらず完成度が高く惚れ惚れした。シリーズごとにフレームやサイズを微妙に変えるといった、細かな気遣いが素晴らしく、目が最高のサービスを受けているような気分だった。写している内容やコンセプトに、僕が何か口を挟む余地はもうない。ただただ彼の超越した視線に宿る世界の姿に、素直にみとれていた。

ひとつ、陸前高田市を撮影した作品群があった。被災した街の痛ましいシーンが並んでおり、それと対峙するように既に過去となった以前の気仙川の様子がスライドで流されていた。背後の写真と同じフレームにはめ込まれたそのスライドは、動画的効果で現在的なイメージを醸し出すが、それは戻らない過去の姿であり、逆に過去のような写真の世界こそが今の現状なのであった。そのある意味ベタな演出は、クールな畠山作品らしくないものであったが、彼はまさにそこで育ったようで、今回の震災で母親を亡くされたらしい。
写真は大きくプリントすることで、絵画的な迫力がでる。現代美術として流通する写真は、その多くが巨大である。今回の展示も大きなプリントが多い。そしてその効果は写された内容を助長していて美しい。しかし、この被災地のプリントは皆とても小さい。それは劇的さを避け、間違っても美術品ではないという配慮に思われ、胸が痛む空間だった。

展示の最後にブラストシリーズがある。自然の猛威を思わせるそれは、人智を超えた力を見せつけている。しかし、その爆破は意図的なものであって、実は人間が引き起こしている世界なのだ。しかもそれは石を経済的に利用すべく緻密に計算された発破である。人間が自然を操つろうとした結果どうなったのか。それがどう今に繋がるのかを再考せずにはいられない。
12月4日まで。
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任田進一

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