乳白の街 大槻香奈

10 15, 2011
絵画を観る喜びのひとつは、作家がその作品と向き合ってきた時間を想像することにある。写真のように一瞬で描かれたわけではなかろう、その絵に潜む迷いや決意や苦しみや願いが、観ているうちにこちらに入り込んできて、貴重な絵画体験の時間を作る。

「乳白の街」大槻香奈(neutron tokyo)
具象性が高い絵画なので、描かれた対象が見えやすい分、導入部が複数ある。少女や制服といった象徴的なモチーフが重要なのかもしれないが、僕はあまりそこに接続できるコードを持っていないようで、一番観ていたのは、表情や髪から受け取れるその人物の揺れ具合だった。微妙に歪む口の描かれ方とか、誇張された目の大きさや位置に注目していくと、実に細かく描き分けられていて、長時間観るに耐える力を持った絵画であることに気づく。デッサン力がある人なのだろう。絵の端々にあるさりげない花や器の破片が上手すぎるので、思わずその技術に圧倒されてしまうけれど、それは絵のさわりのようなもので、観るべきところは別にあるように思えて仕方なかった。だからだろうか、僕はそのパーツのないストレートな肖像の方に目が持っていかれた。

現代美術はコンセプトが重要視されるので、時事問題を扱った社会性がよく問われる。大槻さんの展示を観る前に、Chim↑Pomの展示を観たのだが、モロに「3.11」をChim↑Pom化していてインパクトはあるのかもしれないが、共感はできかねた。(原爆の火がともる蝋燭には参ったが、これはそれを保存していた人が凄い)ギャラリーを廃墟っぽくしたり、爆音と共に銃を乱射する映像や得意のスーパーラットを天井裏に配したりして、パワー全開みたいな感じではあったが、深刻さを避けるがゆえのわざとらしさを感じた。ただこういうのが概念ゲームとしてのルールに乗っ取った、今風の表現なのかもしれない。作品も売れているようで、若者もたくさん観に来ており、人気の高さは伺えた。
そう位置づけると、スタイル的な在り方として、大槻さんの作品は「現代美術」っぽくない。しかし、そこに宿る「情」のようなものは多くの人を引きつけるのだろう。現にChim↑Pom以上に作品は売れまくっており、素直に驚くと共に、なぜか安心した。
偶然だが「3.11」に言及する個展を同時に観た日となった。
関連記事
0 CommentsPosted in 展示

Previous: moon

Next: 超草食系
0 Comments
Leave a comment
管理者にだけ表示を許可する
0 Trackbacks
Top
プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ