超草食系

10 14, 2011
小学校1年生の甥は事件が苦手らしい。例えば普通の30分アニメにおいて、大体始めの10分は登場人物達の日常が描かれ、後半に繋がる15分くらいの間に何かしらの事件が起こる。その後主役が変身するなどしてお約束の展開へ続くわけだが、甥としては始めの10分が最後まで続いて欲しいようだ。平和な性格ということになろうか。逆に妻は2時間ドラマで、最初の10分以内に突拍子もない事件が起こらないと、見る気がしないらしい。甥とは対照的な性格の持ち主といえよう。

「ガニメデの優しい巨人」J.P.ホーガン(創元SF文庫)
映画などで地球人と異星人が出会うと、大抵お互いの存在を懸けて戦っていることが多い。しかし本書では、そういう争いは全く起こらない。お互い相手を出来る限り尊重しており、理想的な交流が描かれる。まるでE.Tとエリオット少年のようだ。
ガニメアンと呼ばれるその大きな異星人が、なぜそこまで優しいのか、なぜそんなに進化した文明を築けたのかは、本書で微に入り細にわたって描かれており説得力はあるが、結局のところ著者は、人間の在り方を客観視すべく、人間とは真逆の異星人を創造する必要があったのだろう。彼らが地球を「悪夢の惑星」と呼び、そこに生息する地球人を「自分たちを滅ぼそうとするものを頑として拒む生物」と定義する経過は、著者が地球人に望む修正点を列挙しているように思えてならない。
人間がなぜ好戦的なのかという異星人の感想を、自分の日常に照らし合わせてみると、確かに何かと刺激を求めている。穏やかにすごす中にも様々な戦いがそこにはある。楽しむということは、擬似的な戦い体験に身を晒すことだろう。また人間は何にでも敵を想定したがる。個人的な到達点へ向けた作業でも、自分に勝つとか言って自分まで敵に回している。競い合うシュミレーションは保育園でも行われる。運動会でのかけっこは、明らかな戦いであって、走る園児達も観戦する親もそこに熱狂する。スタローンはある映画の中で息子にこう檄を飛ばす。「欲しいものがあったら戦って取れ、たとえ負けてもそれが何だ、次勝てばいいじゃないか」多くの人はそうやって頑張り、生活を築いてきた。人を騙すのはよくないが、ルールに従った競争の結果、敗者が生まれることは仕方ないと誰もが認め、win - win が幻想であることを実は皆知っている。
本書の異星人は戦わない。相手を打ち負かすことを良しとしない。どう戦いを避けるかに知恵を絞り、科学や文化を進化させた。しかしそれゆえの問題もあった。異星人は地球人の急速な発展に比べれば、私達は何もしてこなかったようなものだと感想を漏らす。変化を恐れる彼らは超草食系であるゆえ、地球人のチャレンジャー精神が、驚異以外のなにものでもなかったようだ。(ただこれには裏があり終盤明らかにされる)

勝つ快感だけに酔うのではなく、行動の意味が重要なのだろう。保育園児の競争に親が高揚するのは、そこに子供の成長を見るからだ。出来なかったことが出来るようになった子供の姿は、自身の苦労が報われたことに繋がる。重要なことは○○ちゃんに勝った○○君に負けたとかではない。他者と競うことで芽生える向上心とか、自分の中に潜んでいたパワーを実感した子供の表情に、親は胸を熱くするのだ。
印象的なシーンがある。宇宙船で生まれた異星人の子供達が地球に初めて降り立つ場面だ。変化を恐れる彼らは、怖がって外へ出ようとしない。しかし、ひとたび地球の緑と空を体験し、大気の中で宇宙服なしに呼吸が出来る快感を覚えると、はしゃぎまわる。殻を破った瞬間だったろうと思う。とても未来を感じさせる描写だった。

なお本書は「星を継ぐもの」の続編として書かれている。その感想は以下。
http://shinichitoda.blog117.fc2.com/blog-entry-227.html
関連記事
0 CommentsPosted in 読書
0 Comments
Leave a comment
管理者にだけ表示を許可する
0 Trackbacks
Top
プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ