覚醒

10 09, 2011
向い側から歩いて来る人が、どうも自分と似ていることに気づき騒然としていると、すれ違ったその人物はもうひとりの自分だった、というドストエフスキーの「二重人格」を思い出した。

「ブラック・スワン」ダーレン・アロノフスキー(2010年アメリカ)
やはり芸術での覚醒は、日常生活や人格への破綻に繋がるのだろうか。
母親に純粋培養されたピュアなナタリー・ポートマンが、痛ましい幻覚に悩まされながらも、自らのダークサイドを引き出すべく葛藤している。まるで被害者のようだが、それは踊りに殉じたプリマ魂がそうさせているわけで、仕方ないと言えば仕方ない。
壁を超えるべく変身したい芸術家は多いが、その多くはマトモなまま変わることができず、時に薬に手を出す。この映画の中で、ナタリー・ポートマンを覚醒させたきっかけは、そのまんまな覚せい剤であって、オンナ度の高い同僚でもなく、ヤバそうな演出家のシゴキでもない。才能があるように見せかけて、そうではなかった主人公のかわいそうな末路は痛々しい。

レオン時代を知っているためか、確かに劇中の演出家が言うようにナタリー・ポートマンには色気がない。安達祐実がいくらセクシーに演技しても、こちらが戸惑うのと似ており、子役時代に成功しない方がいいことを思い知る。その演技とは関係ない印象の刷り込みが、随分フィルターをかけてしまうのだろう。
しかし、この映画ではそこを逆手に取り、明らかに美しいナタリー・ポートマンが、色気のなさに苦しむという非現実的な状況が、実に素直に受け入れられたのだった。
ああこんなに大きくなってとか、本筋とは関係ない見られ方をさんざんされたであろうけれど、アカデミー主演女優賞は立派なのだろう。余計なお世話だが、本当にたくましく成長したと思った。
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