リトル・ピープル

10 04, 2011
村上春樹が2009年2月に、エルサレム賞受賞スピーチで「壁」と「卵」の話をしたことの反響は概ね好意的なものだった。僕も素直に感動したが、本書の著者は、春樹の想像力が、ついに時代に追いつかれてしまったと嘆く。「1Q84」において、ビック・ブラザーの出る幕はない、これからはリトル・ピープルの時代なのだと表現した春樹自身が、「壁」と「卵」のような分かりやすい善悪の分断をしてしまってよいのか、自分が「卵」の側だと無邪気に信じてしまう想像力の欠如にこそ、問題があったのではないのか。また春樹自身が、そういう多数派に対して抵抗し続けた張本人ではなかったか、と。

「リトル・ピープルの時代」宇野常寛(幻冬舎)
「大きな物語」や大義みたいなものが消滅し価値観が細分化され、「小さな物語」が乱立するようになった現在を、著者はリトル・ピープルの時代という。勧善懲悪がもてはやされた時代は終わり、善悪は双方の立場、問題への侵入角度の違いであって、いくらでも入れ替え可能になってしまった今、確かにビック・ブラザーは壊死したのだろう。
本書はそのビック・ブラザーをウルトラマン、対するリトル・ピープルを仮面ライダーに落とし込み、いかにウルトラマンの物語展開に無理があったか、いかに仮面ライダーが自由に変身し続けたかを説く。ここで紹介されている平成仮面ライダーの話は単純な悪との戦いなどなく複雑である。例えばそのシリーズのひとつである「龍騎」はそれぞれの事情を抱えた13人の仮面ライダー達が殺し合い「最後の願いを叶える力」を手にしようとする話だ。正義はひとつではない。

iMacやiPodをアメリカ製となかなか認識できないように、市場と経済が世界を結び付けると、国家という代名詞が必要なくなる。そうしたグローバルネットワーク化による世界構造の変化で、システムを物語化する巨大な疑似人格(ビック・ブラザー)は死んだ。結果、人々は消えた「大きな物語」を虚構に求めるようになった。「ここではない、どこか」というヤツだが、そういう外部も実は同時に消滅しており、現在は「いま、ここ」つまり、この現実の生活世界を掘り下げるしか道はないらしい。
社会学者の見田宗介は、現実との対応概念「反現実」が戦後半世紀の中で「理想」から「夢」へ、そして「夢」から「虚構」へ変化したと言う。しかし現在この「虚構」も変わった。架空の歴史に基づいた「ガンダム」「ナウシカ」「ヤマト」が終わったように。その「虚構の時代」の果てに何が来るのか。東浩紀は「動物の時代」(動物には欲求はあっても欲望はない、生に意味を与える物語を動物は求めない)と言うし、大澤真幸は「不可能性の時代」と言う。そして著者は「拡張現実の時代」と書いている。以下引用

リトル・ピープルの時代 ― そこに出現しているのはいわば否応なく小さな父たちとして機能する人々が無限に連鎖する世界だ。そのゲームの中に渦巻く想像力は、「ここではない、どこか」へ私たちを連れていくことはない。その代わりに「いま、ここ」にどこまでも「潜り」多重化し、そして拡張していく。
私たちはこの外部を喪い、自己目的化するコミュニケーションの連鎖する新しい世界により深く、深く「潜る」ことで変えていくべきなのだ。そうすることでしか、世界は変えられない。そしてそのための ― 現実を拡張するための手がかり「壁」と「卵」の新しい関係を構築するための想像力は既に世界のあらゆる場所に噴出している。足りないのは、それを語る言葉のみだ。
世界をひとつにつなげた貨幣と情報のネットワークはこうしている今も、圧倒的な速度で進化しているのだから。この圧倒的な速度を奪い取り、現実を書き換える/拡張するための想像力が、今、私たちに問われている。

難しいことになっている。今でも速すぎてついて行けないのに、それを奪い取ってハッキングしろと著者は言うのだ。どんな世界になってしまうのだろうか。
地震と津波に襲われた、宮城県石巻市に独り変身ポーズで立ち続ける仮面ライダー像があるらしい。原作者の故・石ノ森章太郎の出生地が近いことで建てられたそれは、奇跡的に倒壊を免れ復興のシンボルになりつつあるという。
石ノ森章太郎が残した言葉 ―「時代が望む時、仮面ライダーは必ず蘇る」
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