絶望と幸福の間
09 25, 2011
調査で「いま幸せです」と解答する人は、基本的に将来に対してそれほど希望を抱いていないらしい。確かに行く末はもっとマシになるはずだと考えていれば、現状に満足するはずがない。日本の若者(20代)の約7割は、いま幸せですと答えている。この数字はここ15年伸び続けているらしい。そんな日本の将来は確かに問題が多いのだろう。
「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿(講談社)
著者は26歳、若者真っ盛りだ。文体もさっぱりしており、サクサク読める。今の人達はきっとこうなんだろうなあと思わせる。僕はそろそろ40歳になるが、20代の頃は相当鬱屈していた。間違っても幸せとは思っていなかった。もちろん世界規模の視点になれば、ある程度満足しなければいけないとは思ったが、終電を逃すまで働き、みすぼらしいカプセルホテルで目覚め、朝帰りのホストらに混じって朝Macしている自分に、なんの魅力も感じなかった。いい仕事もあったが、そうでない仕事もあった。もっと頭のいいやり方があったはずで、その要領の悪さが今だに自分に影響していることを、若い人を見るたびに思う。
そしてそんな僕が、いま満足か?と問われれば、生活や仕事に関してはある程度満足している。と答えるだろう。それは決して、その先に希望をなくしているわけではなく、家族がいることに日々感謝しているし、仕事に関しては色々あるが、能力の問題として妥当性を感じるからこそ辞表を書いていないわけだ。また20代のあの苦労を思えば、ありがたい限りだ。
一方、制作に関しては満足していないと答える。それは著者が分析している通り、将来はもっとマシになると信じ活動中だからだ。そしてこの渇望感の捉え方が、いま変化してきているのだろう。
本書では幸せの条件を「経済的な問題」と「承認の問題」に分けている。今の日本の若者で経済的に苦しいと感じる人は多いかもしれないが、実際問題それほど生活が明日をも知れないという人は少なそうだ。スマートフォンやパソコンやエアコンは大抵の若者が持っているアイテムだろう。物欲に関してはユニクロもあるし、安くてそこそこの商品を選びやすい時代だといえる。承認の問題も、僕が大学生だった90年代前半と比べると随分変化した。ツイッターやフェイスブックなんてなかった。思うに20歳前後の人間は、自分を誰かに理解してもらいたい、知って欲しいという思いが、どの世代よりも強そうだが、その欲望を実に効果的に処理するに際しフェイスブックの存在は大きかろう。確かに「いいね!」と誰かが共感してくれるだけで、何かが楽になったりするものだ。
成功へ飢えることが善くないという考え方が蔓延しているのか。等身大でいる節度が必要とされているのか。9.11や3.11の直接的な被害を受けていなくとも、あのような大事件が起こると、人間は身の程を考えるようになる。自分を取り巻くささやかな幸せを大切にしたくなる。それは日々薄々と感じている問題点が、一気に浮き彫りになるからだろう。渇望感満載の野望は、そういう幸福をいかにも壊しそうだ。著者は、様々な角度から若者の実態を検証し、過去の文献を参照し、論を進め最後にこう語る。
もちろん、身近な小さな幸せというのは、様々なインフラに支えられて可能になるものだから、これからどうなっていくのかわからない。だけど、それでも「大きな世界」ではなくて日常という「小さな世界」の幸せを大切にできる人が増えていること、それは希望のような気がする。(要約)
そういえば、1979年のノーベル平和賞受賞のインタビューで「世界平和のために私達はどんなことをしたらいいですか」という問いに対し、「家に帰って、家族を愛してあげて下さい」と答えたのは、マザーテレサだった。
「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿(講談社)
著者は26歳、若者真っ盛りだ。文体もさっぱりしており、サクサク読める。今の人達はきっとこうなんだろうなあと思わせる。僕はそろそろ40歳になるが、20代の頃は相当鬱屈していた。間違っても幸せとは思っていなかった。もちろん世界規模の視点になれば、ある程度満足しなければいけないとは思ったが、終電を逃すまで働き、みすぼらしいカプセルホテルで目覚め、朝帰りのホストらに混じって朝Macしている自分に、なんの魅力も感じなかった。いい仕事もあったが、そうでない仕事もあった。もっと頭のいいやり方があったはずで、その要領の悪さが今だに自分に影響していることを、若い人を見るたびに思う。
そしてそんな僕が、いま満足か?と問われれば、生活や仕事に関してはある程度満足している。と答えるだろう。それは決して、その先に希望をなくしているわけではなく、家族がいることに日々感謝しているし、仕事に関しては色々あるが、能力の問題として妥当性を感じるからこそ辞表を書いていないわけだ。また20代のあの苦労を思えば、ありがたい限りだ。
一方、制作に関しては満足していないと答える。それは著者が分析している通り、将来はもっとマシになると信じ活動中だからだ。そしてこの渇望感の捉え方が、いま変化してきているのだろう。
本書では幸せの条件を「経済的な問題」と「承認の問題」に分けている。今の日本の若者で経済的に苦しいと感じる人は多いかもしれないが、実際問題それほど生活が明日をも知れないという人は少なそうだ。スマートフォンやパソコンやエアコンは大抵の若者が持っているアイテムだろう。物欲に関してはユニクロもあるし、安くてそこそこの商品を選びやすい時代だといえる。承認の問題も、僕が大学生だった90年代前半と比べると随分変化した。ツイッターやフェイスブックなんてなかった。思うに20歳前後の人間は、自分を誰かに理解してもらいたい、知って欲しいという思いが、どの世代よりも強そうだが、その欲望を実に効果的に処理するに際しフェイスブックの存在は大きかろう。確かに「いいね!」と誰かが共感してくれるだけで、何かが楽になったりするものだ。
成功へ飢えることが善くないという考え方が蔓延しているのか。等身大でいる節度が必要とされているのか。9.11や3.11の直接的な被害を受けていなくとも、あのような大事件が起こると、人間は身の程を考えるようになる。自分を取り巻くささやかな幸せを大切にしたくなる。それは日々薄々と感じている問題点が、一気に浮き彫りになるからだろう。渇望感満載の野望は、そういう幸福をいかにも壊しそうだ。著者は、様々な角度から若者の実態を検証し、過去の文献を参照し、論を進め最後にこう語る。
もちろん、身近な小さな幸せというのは、様々なインフラに支えられて可能になるものだから、これからどうなっていくのかわからない。だけど、それでも「大きな世界」ではなくて日常という「小さな世界」の幸せを大切にできる人が増えていること、それは希望のような気がする。(要約)
そういえば、1979年のノーベル平和賞受賞のインタビューで「世界平和のために私達はどんなことをしたらいいですか」という問いに対し、「家に帰って、家族を愛してあげて下さい」と答えたのは、マザーテレサだった。