視覚体験

06 14, 2011
絵の時間というのは農業みたいなところがあるのではないか。
でも写真は、いまの生活にフィットする。いまの世の中や生活があくせくしていても、写真はその隙間を縫って撮ることができる。写真は農業じゃなくて工業とか、あるいはサービス業かもしれない。(赤瀬川原平)

「目玉の学校」赤瀬川原平(ちくまプリマー新書)
著者は、幼少の頃から希有な感覚の持ち主だったようだ。例えば、「雨は線ではない水の粒が落ちている」という事実が理解できかねた赤瀬川少年はどう行動したか、以下引用。
目の前で、雨が降っている。そのときふと、頭に「万有引力」のことが浮かんだ。雨が落ちているんだから、自分もいっしょに落ちたら雨粒が見えるかもしれない。友だちとの会話が途中なのに、「そうだ!」と思いついて、パッと飛び上がった。体ごと飛び上がってすっと落ちたら、目の前に見えている雨が一瞬止まって、全部が点になった。あれは綺麗だった。「ああ、やっぱり水滴なんだ」と納得した。

友人と話している最中に、雨を見て万有引力を感じるところが普通ではない。しかもそこで飛び上がってしまう行動力は、さすがとしか形容できない。
そんな子供視点の疑問をいまに至るまでずっと持ち続けていられることが、この人の才能なのだろう。普通、ある程度その原理がわかると興味が薄れてしまうが、そこをもう一歩踏み込んで研究することで可能性はぐんと広がるようだ。

位置を固定し木の影を撮影する。何分か後再びシャッターを切り、その2枚を立体視したところ、平面であった影の木が雄大に空間上に広がる立体になった、という写真が載っていた。確かに立体になった。ゆらりと影が立ち上がってくる感じが、実に不気味で感動的だった。
できる人は違う。と感じさせる多くのエピソードが本書にはある。

著者は絵を見るに際し、模写を勧めている。同じ行動をとることで、その作者がどう対象を見てどう描いたのかという感覚的視点を体感できるのだという。その通りなのだろう。僕も同じように、雨を見つつ飛び上がり雨粒を見る追体験をしようと思ったが、梅雨なのに今日は雨が降っていない。雨が降っていなくて残念と思う気持ちは、生まれて初めてだった。
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