負けること

06 05, 2011
コンペの次元はまるで違うけれど、デザインの仕事をしているので、僕も時々指名を受けコンペに参加する。そして勝ったり負けたりを繰り返す。いい加減にその対策なり傾向なりをわかっても良さそうだが、阿呆のように負けることがなくならない。勝った実感というのも曖昧で、明確に今回は勝ちだなと思うことはまずない。要はこれ以上出来ませんという状態にいつもなるだけで、勝敗がどう転ぶかは予想できるものではない。

「連戦連敗」安藤忠雄(東京大学出版会)
いつか読もうと手を出すけれど買うには至らない状態が続いていて、今回もまた書店の棚に戻そうとした時、本人のサインと思われるマジックの走り書きが表紙裏にあって、何かの縁かと思い購入した。近くに彼が設計した小さな美術館があるので、何かのおりに立寄りサインしたのかもしれない。それは、茨木市にある光の教会のイメージスケッチと共に「光」という文字が書かれ、下にAndoと記されていた。毎回このサインをするのか知らないけれど、印象的ではあった。

連戦連敗の実情が綴られている。もちろん、世界的な建築家だからゆえにコンペに招待されるわけで、この場合はそこにエントリーされるだけでも相当な名誉だと思う。しかし勝負が始まれば、そこからはいわゆるコンペの悔しさや歯痒さが生まれるわけで、その不屈の精神はやはりただ者ではない。彼の言う通り、傍観者か競合者のどちらの立場で採用案を見るのかは、そのアイデアを理解する上において全く異なる体験を生み出す、という理屈はわかる。そしてコンペに参加したことでの敗戦を、現地の歴史や風土を勉強する機会に恵まれた経験、と捉えられる謙虚さは彼ならではなのだろう。若かりし頃ボクシングをやっていた過去には全く触れられていないが、戦い続ける性を持つ人なのかもしれない。
また実現しない計画の多さにも驚く、個人的には大谷地下劇場プロジェクトなど素晴らしいと思うのだが、国土交通省は危険であるとして許可しないらしい。確かに考え抜いたアイデアが実現しそうになければ、次の計画を考えた方が時間の使い方としては正しいのだろう。
とにかく体感することが重要なようだ。旅がいいらしい。自ら動き考え、情報としての価値をどこまで自分の血肉にできるか、ということだろうか。

光の教会に行ったことがある。本当に普通の住宅地にあった。いかにも建築を勉強している学生です、という人達が絶えず訪れていた。話し好きな神父さんに案内され、その礼拝堂に入った時、自然に敬虔な気持ちが生まれたことが驚きだった。写真で何度も見ていたし、知った気になっていたが全くもって何もわかっていなかった。情報を知ることと実体験として感じることの差を、そこで思い知った記憶が、本書を読んで蘇った。

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