手応え

02 06, 2010
完成とは違うのだが、手応えを感じる瞬間がある。
僕の作品の多くは写真なのだが、何を撮影するか決めずにシャッターを切ることはほとんどなく、多くは先にイメージした何かがある。そしてそのイメージを定着するために撮影するという行為に出る。ただ完成した作品は、当初のイメージをなぞっているかというと、そうはならない。それはイメージを立ち上げるにあたり、通過する現実が思い通りにならないからだが、この想像と現実のズレに意味があるように思う。ズレというのはイレギュラーな事実で、想像の甘さを指摘する現実からの忠告であり挑発のようなものだ。想像は都合よく形を歪めるため、現実の強度に耐えられない、しかし、イメージの形はなんとか現実にしたい。この両者の主張をどこに着地させるのかを模索する行為が、制作するということになるのかもしれない。手応えはその着地点の発見といえる。

それにしても、「だいたいこうだろう」という予想を何故してしまうのか。それは効率とか失敗回避のためか分からないが、実際多くのことを予想しつつ生活している。それは仕方のないことだとしても、常に対応するという感覚ではなく、ニュートラルな状態でいたいものだ。それは明らかに自分のイメージの方が現実よりも貧困なのだし、下手な予想は貴重な未来を歪め、その後の必要な行動を抑制するかもしれないからだ。
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