心して漠然と

01 28, 2010
考えることと考えないことを同時に意識しなければならない。

行為が単純な制作作業を繰り返していると、同じようなものばかり量産している気分になる。しかし、そこには厳然たる差異があって、ほとんどのものはよろしくない。それは、何十枚かに一枚どうしたわけか奇跡的な一枚が存在していて、そのレベルを標準にすると他は全てボツにするしかないからだ。何故その一枚が生まれたのか、何度も検討し状況を再現しシャッターを切るのだが、写っているものは全く別ものでしかなく理由も解らない。

自然に同じものは無いとか色々あるけれど、同じ行為を繰り返して生まれるものに、優劣のような差が刻まれている事実はどこか恐ろしい。人間も同じような行為の果てに生まれるが、その中に希有な人が必ず混じっているのだ。
僕がひたすら続けている作業は、この行為の繰り返しの果てに稀に現れる、特別な要素を含む偶然に出会うためといえそうだ。しかし、そんな効率の悪い状況は打破すべきで、意図的にその奇跡を生み出そうと考えるのだが、大抵無駄に終わる。そのもどかしさを実感するばかりだ。そこで体得したのが、始めに書いた矛盾する要素を同時に意識する行為になる。ただ漫然と作業するのではなく、心して漫然と作業するということ。結局どちらも同じなのかもしれないが、気分的にはテンションを下げない方向に持っていかないと、全てが無意味に飲み込まれそうになる、気楽で深刻な状態。
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